トム・サックス展を見た。 

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 初台のオペラシティでトム・サックス展を見た。ティーセレモニーと題された展覧会。アメリカに居た時、友人が日本のお茶の席をそう呼んでいた事を思い出した。身の周りにある素材を使いながらの作品は、日常の写し絵のような様相のある雰囲気を感じた。作品を見て行きながらNASAの文字が目に留まった。なるほど。お茶の小宇宙とアメリカの宇宙への夢とは案外比較すると面白いのかも知れないと思った。その後もそのアイデアは継続されていて、トム・サックスからすれば、日本の文化そのものがティーセレモニーのように感じるのだろう。文化の要約というのはある種の飛躍を生み出すのかもしれない。中には、禅を思わせる仕掛けや、鯉の泳ぐ池と、ししおどし。その全てが書割のような掘っ立て小屋のような作りになっている。またところどころ、NASAの文字やアメリカ文化との融合が図られている。もちろんこうした文化比較は各々の文化の代表例であってある種の比喩と捉えるべきであろう。

 ここである種の想念が湧いた。先日ふとトランス状態と自分の事に酔うことの違いを考えていた。古くから行われている文化儀式の中に多くのトランス状態を呼び込む装置が散見される。それらは自我を超越し感覚を開放し、認識を否定し、神と近くなる状態を作り出す。言わば、宇宙化することだろう。トム・サックスはユーモアも交えながら自分の国の文化であるNIKEやMcDonal’dやNASAと日本の文化を平行に並べてみせる。アメリカ文化に慣れ親しんでいるはずの日本文化が、改めて宇宙という概念で文化を比較していく。所謂「侘びさび」の世界とはトム・サックスのような身の周りのもので宇宙を体現する方法論のようなものだろう。私が注目したのはそうした能書きよりも、人間の欲望をあくまで追求することで生まれてきたアメリカの資本主義社会の宇宙観と日本のある枠組みの中で熟成する小宇宙の比較から見えてくる文化のトランス感覚の差異と同一性である。宇宙に飛んでいくのも、お茶でトリップするのも同じ「飛ぶ方法」ではないかとも思えてくる。そうした感覚がアメリカに端を発するあらゆる消費欲求に根差す我々の日常を逆照射していく。

 前述したトランス状態と自分に酔うことの違いは、実はそんなに明快な違いがあるわけでは無い。もちろん儀式としての社会形式の中で行われる場合と個人的な欲望を一緒に考えるのは野暮ではある。しかし、本人にしてみれば常に内省が求められる場面だ。文化とはあくまで人間が作り出したものではある。だが、神や宇宙に近づこうとする時、一旦欲望は担保される。トム・サックスの、まるでプラモデルを作り出すような芸術行為は我々の欲望の写し絵であり、かつまたアメリカや日本という限定した範囲の問題を超えた普遍的な問題を露呈している気がする。

 トム・サックスの作り出す空間は、理解する糸口が沢山あるが、答えに辿り着くような目印は何も無い。私は現在の混迷した世界状況や日本の状況を見るに付け、何故こんなにも芸術を求める必要があるのか、どこにその理由があるのか知りたくてトム・サックスを見に行ったが、そうした答えの無い問い掛け自体が芸術なのかもしれないと少し思った。ともすれば欲望すること自体が神聖視されてしまう時代であるから。

ドービニーと印象派

 

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 新宿にドービニー展を見に行った。ふと印象派と風景について考えたくなった。いつも印象派というとどこからが印象派なのか、何が印象派なのかという論議になる。それだけ長い時間掛けて画家が関ってきた画題なのであろう。そんな思いをしたためながら新宿へと向かった。先ずはドービニーと同時代の風景画が並び、序章と題してコローに代表される作品が並んでいた。私は、その展示はさっと流してドービニーの作品の展示へと向かった。私はいつも自分の展覧会へのある欲求を抱えて見に来ている。今回はドービニーと印象派だった。ドービニーの作品と先ず向き合ってから周りの同時代の作家の作品を比べたかった。

 作品を見続けていくと横長の作品が非常に多い事に気が付いた。これは風景画としては当然のスタンスである。風景と言う概念が広がりを求めているためにキャンバスが横に長い。上部に空があり、地平線が中部に来て手前が川という構成がドービニーのスタンダード。ここで自分の印象派観が主にモネなどに代表される“風景を描くこと自体”に画家が向き合う時代の作品を指していると分かった。調べてみると、ドービニーの後にモネが続いていてモネはドービニーの影響を受けたと言われている。またセザンヌとも交流があった。そうした芸術の時代の流れはいつもダイナミックである。

 私はドービニーの光の捉え方に目を奪われた。光源である空の存在。また大きな樹木などを介して逆光を捉える。そして反射光としての川の水面。これらの光の表現が織り成す空間が穏やかな一体感を伴う。レンブラントなどに代表される光を劇場的あるいは観念的に使う古典的な在り方ではなく、普段我々が戸外で感じているような自然さがそこにある。またドービニーは船をアトリエとして、川から絵を描いていたようである。会場にもボタン号と呼ばれたドービニー所有の船の模型が展示してあった。

 ここであることを思い出した。私が通う職場の近くには川が流れている。時々川岸に下りて散歩をしていた。そこでは鳥のさえずりや、魚が跳ねる音など普段我々が忘れてしまっている自然の時間が横たわっているのを発見し、不思議な透明感を味わう事があった。ドービニーももしかしたらそうした、川から風景を見ることで自然を再発見していたのかもしれない。

 後期印象派と言われているゴッホイーゼルを戸外に持ち出して風景に我が身をさらしてキャンバスに向かっていた。先日も美術館が修復中のゴッホのキャンバスの中からバッタの死骸が発見されて、戸外で描いていた史実を証明した。ゴッホのことを書いていたらある作品を思い出した。ゴッホの晩年に描かれた「カラスのいる麦畑」という小さな横長の風景画。濃い青空に無数のカラスが飛んでいる。確かこの作品の後にゴッホはピストル自殺を図っている。何故思い出したかというと、ドービニー展のポスターに“ゴッホの愛した画家”と描かれていたからだ。確かに愛していたかもしれないが、ゴッホの性格からして自分には無いものをドービニーの作品に見ていたのだろう。ドービニーの小さな横長の風景画とゴッホの小さな麦畑の作品がほとんど同じ大きさであることからもそれが伺えると私は感じた。

 風景を介して様々な画家がキャンバスに挑んだ。風景画とは、肖像画などの権威を表現するものから時代が近代へと移り、田園思想のもとにブルジョワジーが部屋を飾るために求めた画題でもあった。そうした、求められる画題と画家の葛藤が印象派と風景画の間ににあったのだと改めて感じた展覧会であった。

 

-芸術と距離-

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 ジョセフ・コーネル展を川村記念美術館に見に行った。入り口でフランク・ステラの巨大彫刻に目が留まった。しかし次の瞬間、これは絵画だと気が付いた。確かに三次元の金属の塊だが、作品に平面性と正面性が見えた。私は見る距離と角度を変えながら、作品の見え方を楽しんだ。建物の中の広い展示空間に入ると、そこでもフランク・ステラの巨大絵画に目が留まった。私は動くことが出来ず、かと言ってじっとすることも出来ず前に進むべきか、右か、左に方向を取るか悩んだ。

フランク・ステラは絵画の矩形(四角)の制度に取り組んだ画家として認識されている。変形キャンバスを使い、地と図の構造を使いながら、描かれているシンボルとシンボルを支えるキャンバスの関係を表現してきた。そこで作品を見ている観客の視線に何が起きるのか。通常はキャンバスの真中に描かれたシンボルを見つけようとする。それが絵を見るという制度だ。しかし、ステラの作品は真中に意味を求めようとする人の視線を横方向へ逃がしてしまう。キャンバスの枠へと逃げた視線はまた意味を求めようと真中に戻る。その内、作品の大きさに気付き、材質や、作家の痕跡を見つけようと視線と感覚が忙しく動き回る。そうした意味と感覚のゲームのようなステラの作品は美術のアスレチックの様でもある。私は都内のビルのロビーでステラの巨大絵画を見たことがあるが、その作品の前を忙しく行き交うサラリーマンと妙にマッチしているなと思った記憶がある。

そのステラの展示空間と一体となった感覚の後に、ジョセフ・コーネルの作品群と出会った。コーネルは作品集などの写真でしか作品を見たことが無く、実際に見るのは初めてだった。有名な箱のオブジェをこの目で見るのを楽しみにしていた。最初にシュールリアリズムに影響されたコラージュや版画が紹介されていた。なるほど、あの箱の作品の背景にはこういう作品があったのか、などと一人納得していた。その内箱の作品群が表れた。コーネルは様々な場所で拾ったり集めたりした日常品を箱の中で組み合わせて、ひっそりとした劇場のような空間を作った。それらのイメージは時間が経った何かであり、拾うという行為があって初めて成り立つ作品であった。作品の中で楽譜が箱の中に納められているものがあった。そこには周りの音を遮断するヘッドフォンが会場側の配慮で置かれていた。試しに耳に掛けてみたが、逆に僅かな人の足音が気になって作品に集中することが出来なかった。

次の部屋ではサイレント映画が上映されていた。そこでも同じくヘッドフォンが置いてあった。予想はしたが、やはり周りの音が聞こえつつサイレント映画を見た方が感情移入出来た。そこでの内容を文字で説明するのは困難だが、映画を見ながら突然コーネルの内面が自分に伝わって来た気がした。それからは、コーネルがなぜ日常品を拾っていたか、家族とひっそり暮らしていたか、弟に障碍があったこと、などが津波のように自分に襲って来た。

私は再び箱の作品のところへ戻って、作品を確かめてみた。拾った小さなガラスの器が釘で留められている。他にも釘で様々なモノが箱に留められているのだが、こんなに可愛らしい釘は初めて見たと思った。コーネルの、世界に対する距離がそこに表現されているのだと感じた。初期の作品であるコラージュや版画では、世界観は伝わるが直接的なコーネルの感覚までは伝わって来ない。

私は今回の文章のタイトルに芸術と距離と付けた。作品というのは作家が居て存在する。作家の唯一のかけがえの無い身体があり、作家の、歴史や世界に対するスタンス(距離感)が表現されてしまっている。フランク・ステラの作品は美術館や大きなビルで見るとその本質が伝わって来る。またジョセフ・コーネルの作品は誰かの家に本来は飾られるべきなのかもしれない。私はコーネルの作品が美術館の壁から遊離しているのを感じた。

ソフィ・カルの限局性激痛 -芸術の社会性についてー

 

 原美術館へソフィ・カルの限局性激痛展を見に行った。限局性激痛とは、医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味する。私は職場が知的障害者の施設ということもあり、生きづらさや痛みや苦しみといった個人的な感情をどのように芸術として作品化しているのか興味があった。

 この作品はソフィ・カルが20代の頃奨学金を貰って日本に3ヶ月滞在した記録を基に作られている。1984年当時付き合っていた彼氏がいた。3ヶ月の日本滞在を終えて彼と会う約束を楽しみにしていたが、会うことなく破局してしまう。その苦しみをパリに戻って友人などに話し、また同様な苦しみを話し合うことで彼女は失恋の苦しみを乗り越えることが出来たという。忘れ去ろうとしたこの苦しい体験を15年経って作品化したという。

 会場には失恋までの日数のカウントダウンを記した写真(日本滞在時の風景など)で構成されていた。中には「いとしいひとへ」と題された彼氏へのラブレターの内容や彼氏からの返事の手紙の内容も展示された。また別の会場ではおそらくパリへ戻った後をイメージした写真と日本語で記された失恋に対する文章の刺繍で構成された作品があった。私はある違和感を持ちながら作品を見終えて会場を出た。

 家に戻り、彼女の作品を回想した。先ず、日本滞在時の風景写真などが感情のこもっていない空疎なものだということ。さらに当時日本語を解さないソフィ・カルがわざわざ日本語で刺繍した文章を作品化していることが気になった。後から彼女へのインタビューで日本に滞在した理由を日本語が分からないからと知った。おそらく彼女の方法論として感情を客観視することが目的でそれらの行為がなされていることは想像出来た。しかし、日本語を解し、日本に住んでいる者にとって理解に苦しむ行動に取れた。この私にしか分からない苦しみとは、裏を返せばあなたには分からないということになる。しかし上に書いたようにその苦しみを誰かと分かち合うことで苦しみから逃れることが出来たと語る彼女の態度は矛盾に満ちているように思われた。現在形で感じる苦しみや痛みを掘り起こすカタチで提示すること自体に意味を感じることは分かるが、その方法として他者である日本イメージを引用するのは日本語を解する主体である私としては気分を害した。この作品がもしパリで開催されたらソフィ・カルの意図に沿ったものになるのではないかと想像した。

 では反対に日本で開催する事が意図されたものであるとすれば、理解に苦しむ。まるで私の苦しみはあなたには分からないとでも言っているようだ。今文章を書いている私は必死になって自分の感情を押し殺している。そうした他者の感情を揺さぶるのが目的だとしたら、作品は成功しているのだろう。まるでソフィ・カルの彼氏の気分だ。

 少し気分を変えて他者の痛みを考えてみたい。“私”には分からない言語や文化に対する態度として現代なら多様性という概念がある。“私”には分からないけれど、思いを馳せる事は可能だ。しかし彼女が題材にした失恋は個人的な出来事である。やはり彼女にとって他者である日本語や日本文化を相対化することに意味があるのか、と書くつもりが「相対化させること」が出来るのは他者しかいないことに今気が付いた。

インポッシブル・アーキテクチャー

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 埼玉県立近代美術館に、インポッシブル・アーキテクチャー展を見に行って来た。インポッシブル=不可能な、という言葉に逆に建築の純粋性をどこに探せば良いのかという期待を胸に美術館に向かった。実際に建つには至らなかった様々な建築家のドローイングや模型から建築とは何かを考えさせる展覧会。先ずは有名なウラジミール・タトリンの第3インターナショナル記念塔があった。塔の角度が23.5度と地軸と同一にすることで重力から開放されるというイメージがあるとのこと。映像では実際の大きさをCGで再現して街中に巨大なモニュメントが出現された様子が映し出されていた。やはり建築は美術(美術もスケールが大きければ同じ)と違い、大きさが一つの機能であることが映像から見て取れた。タトリンの頭の中の構想が再現されたわけだ。ここで建築の不可能性の中にある可能性として、建築家の頭の中から建築は始まっているのだという事実が確認された。建築物は通常我々の外側に機能的な実在として存在する。

 次はカジミール・マレーヴィチのアルヒテクトンの模型があった。タイトルに「無対象の世界」とある。独特のバランス感覚から先ほどのタトリン同様、建築が重力から開放され拡がっていくような感覚に襲われる。通常建築物は権力などの象徴に使われるため、力強さを表現することが多い。建築物の正面にあるファサードなどはデザインとして強調される。そうした「力」をどう扱うかが建築の第一の概念であるといっても良い。ロシアアバンギャルドなどの理想主義が当時のソ連社会主義の中でそうした人々の願いを表現したことは興味深い。

 また、ヨナ・フリードマンは模型ではなく、スケッチで自らの空中都市のビジョンを示していく。空中に浮遊した都市は、実際に存在するところを頭の中で想像すれば先ほどの理念としての理想ではなく、もっと人々の生活に根ざした理想である。スケッチであるところが見る人の想像力をかきたてる。

 黒川紀章の建築模型は遺伝子の螺旋のようだ。建築とは人が何らかの機能を持たせた構造物であり、その身体的なスケールがどのように表現されているかで建築の概念が違ってくる。黒川紀章メタボリズムという概念で自らの建築を説明しているが、有機的な流動性を理論構築している“イメージとしての建築”に思われた。それは同じくメタボリズム建築家の菊竹清訓も同様にイメージが具現化された建築であるような印象を模型から受けた。

 私が今何を言っているのかと言えば、建築というものは機能を持った構造物でありながら建築家の頭の中から出て来る想像物なのだということだ。街中にあるどんな建築物もある程度のプランから設計図に起こし、建設される。小屋のようなものは別として。小屋でさえ、建てた人の頭の中から出て来るのである。私はこの「頭の中から出て来る」ことの違いを模型や、スケッチに見て取りたいと思っているのである。建築そのものを客観的に認識する手前の段階。それは建築家自身も同じである。むしろ建築家自身が一番知っているのだから。

 少し会場を進んだところにジョン・ヘイダックのドローイングがあった。キュビズムやデ・スティル、主にモンドリアンの斜めの線に影響を受けたとされる。通常は四角い平面図をアイソメトリックに書くところ、四角を90度倒して菱形にしてそれをアイソメトリックに書くという方法で設計をするというもの。実際の図を見ているとどんな建築物の中に足を踏み入れているのか想像しにくいが、とても刺激的だった。彼は“建てない建築家”と呼ばれていた。実際の建築物もあるようだが、興味深い。晩年、寓意に富んだ建築物を思考していた。その中には社会問題を扱ったものが多かった。実際のドローイングがあり、実現したものとして、現在チェコプラハの公園に自殺者の家、母の家と題した建築物がある。

 もう一つ気になった建築はレム・コールハースのフランス国立図書館だ。彼によれば、書物や映像を収納する書庫は人類の知性の塊のようなもの(ソリッド)。そしてそれらを繋ぐ閲覧する空間はヴォイド(空洞)とする。これは図書館が持つ機能を、新しい知性を作り出す場として「ソリッド」と「ヴォイド」という空間を分けることで“未知の知性”が“既知の知性”から生まれると解釈した。

 最後に未完成に終わったザハ・ハディッド基本デザインの東京オリンピックスタジアムの模型があった。そこには実現可能な建築、と書かれていて、実際の設計に要した記録物も一緒に展示してあった。そこに関った多数の人々と時間とお金というリアリティから、建築とは何かという振り出しに私を戻してしまったようだ。

 

堀内正和のユーモア −芸術の社会性について−

 
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 神奈川県立近代美術館葉山館で堀内正和展を見て来た。堀内正和の彫刻は画像等で知ってはいたが、展覧会を見たことは無かった。初期の石膏による頭部などの具象彫刻は良い作品だが何となく硬い感じがした。続く部屋では彫刻が分厚くなってしまうことから開放されたと自身が語っていた鉄の線材で出来た空間的な作品が紹介されていた。突然そこから泉が湧くように作品が次々と生み出されていったように感じた。所謂堀内正和らしい初期の作品では、メビウスの輪のような無限をモチーフにした樹脂と石膏の作品があった。この頃はまだ地面から彫刻が生えてくるような、ボリュームとしての彫刻であった。しかし中期のIKOZON彫刻(覗きの反対読み)では、ボリュームは表面的なもので、観客が作品を見る(覗く)ことで彫刻が成立する仕組みになっている。陰陽のような構造がカタチになっていて、素材は石膏などの実体があるものでも見ているうちにどこまでも終わりの無い感覚に襲われる。カタチが互いに入れ子構造になっている丸と四角など。その同じ部屋には堀内正和の紙の模型彫刻が、ある一区画にたくさん並べられていた。一瞬ブランクーシのアトリエを思い出した。同じ形を違う素材で制作したり、大きさが少しずつ違っていたり、お互いの彫刻が連鎖しあっているような。堀内正和のたくさんの紙の模型彫刻も似た雰囲気があった。現に堀内正和の言葉にも、山のように増えていく模型彫刻がまた次の作品を生み出すきっかけになっていくのだという言葉があった。
 ここまで書いてきて、堀内正和の彫刻にユーモアをどう感じるのかを課題にしながら展覧会を見ようと予定していたことを思い出した。私には表面的なユーモア(ニコニコした記号など)よりも、視覚から引き起こされる無限感覚の方が気になっていた。そしてまるでモデル(模型)のような彫刻たち。さらに彫刻作品の重量が全く感じられないのである。浮遊感とは違う。存在感が無いわけでは無い。実際に展示会場で作品に囲まれていると、在るのに無いような感覚になる。また石膏作品などが経年劣化をしていたが、その彫刻の表面は気にならなかった。狐につままれたような気持ちで、最後の部屋へと入って行った。高い天井のある空間にバランスよく彫刻が置かれていた。私は何故かしばらくその部屋に入る事が出来ないでいた。手前でその空間に発生している緊張感を感じていた。ずっとそうしているわけにもいかないので、やっと入った私は今までのユーモアとは違う空気がここにあると思った。大型の斜め円錐に円筒のカタチを繰り抜いた作品があった。大きい作品なので繰り抜かれた円筒部分の空間に頭を入れてみた。何故かゾッとした。恐怖感だった。私は丁寧に繰り抜かれた虚の空間を眺めた。円錐を円筒が貫く際に出来る曲線は、実際に目の前にあるにも関らず何故かカタチとして認識出来ない。線は円錐の表面に出来た言わば切り傷のようなものだ。しかし、切られた痕跡は感じられない。中期の作品から登場するカタチの中にある穴のカタチ。外見がそもそも観念的なカタチであり、そこに穴を空けることは、思考の中に穴が空くようなものか?大型の円錐に空いた円筒を覗き込んだ時の恐怖が蘇って来た。
 そう言えば、途中の部屋で堀内正和がプラトンの言うように現実の世界はイデアの世界が鏡に映った世界ならば、現実の世界を鏡に映せば逆にイデアの世界が見える、、、と言っていたのを思い出した。私はそれこそ穴から出るような気持ちで会場を出た。その日は車で葉山まで来たのだが、帰り道しばらく道路を走っていても現実が上手く掴めず、運転が不安で仕方なかった。私は、常々戦争やその他人間の負の部分はそもそも人間の観念が作り出したものであるし、その他の現実も作られたものだと感じていたが、まさかイデアと現実がひっくり返ったことで運転に支障が出るとは思わなかった。これは、堀内正和が仕掛けたユーモアなのか。

「アジアにめざめたら」展を見た。−芸術の社会性についてー

 東京国立近代美術館で「アジアにめざめたら」展を見た。1960−1990年代にかけて行われたアジアの現代美術を振り返るという企画展。現在、西欧中心主義の美術史に対する懐疑があり様々な価値の多様化に伴い、西欧以外の文化からの社会問題への問い掛けなどの動きが活発化している。美術館もアーカイブとして美術品を管理保存するだけでなく、現在進行形で観客に社会問題を主体的に問いかける時代である。こうした中、アジアという地域がどう西欧に向き合ったかという歴史の振り返りでもある。
 最初に印象的だったのは、西欧美術に対する嫌悪や怒りである。キャンバスを燃やしたりし、既存の制度を消滅させてみる。そうすることで作品の背後にある制度を他者としてのアジアが炙り出す。展覧会には西欧人の観客も多く訪れていたが、そうした他者の視線を求めて西欧の文化を逆照射したいのだろうと想像した。物を燃やすという行為は原始的だが、政治的であり、非常にメッセージとして強い。美術自体がとても政治的なモノであるので逆に燃やすことで美術にある政治性が露わになる。こうしたコンセプチュアル(何が美術なのかという問い)な作品は価値が多様化する現代において顕著であり、美術の本来の無名性も同時に表現される。誰が作ったかが一つの価値になり、権威になることへの問い。その価値がどの文化を背景にしているのか、も同様だ。
 また70年代を境に作品が作られる状況やプロセスを作品にする流れもこの時代のアジアの現代美術に大きな影響を与えた。ここに作品の場所性というものが出現する。それは、それぞれの文化の共同体が持つ固有の時間感覚をも表わしていく。アジアに共通する感覚として、結果としての完成作品よりもそこに至るまでのプロセスを大切にすることがあるのではないだろうか。それは、出来上がる作品の周りの状況も作品として巻き込んでしまう方法論から、アジアの文化圏に住む人々の営みさえ見えて来そうだ。ある作品は、ギャラリーにテーブルを何台か置き、そこを期間限定の酒場にしようという試み。写真を見る限りでは、作家と思わしき人々が議論を交わしているような様子が写真として残されている。そこから彼らが対象物としての作品ではないものを何とか模索している様子が伺えた。さらに同時代美術に美術的観念を物質に還元するという動きもあった。これは、近代的理性を物質に還元することにより個々の作家性ではなく、美術作品の普遍性を探る試みだった。これに対し、アジア文化は別の顔を見せた。それは“物質自体”から美術が成立する方法を選ぶと言うものだった。それは、アジアの自然観の現れである人間と自然を等しく捉える考えが露わになる結果に繋がった。
 展示テーマのおかげで社会的な問題を直接具象絵画などで訴えるリアリズム絵画も多く見受けられた。これらの手法は広く西欧でも見られるが、改めて芸術とは個人を離れて人々の生活(ここでは西欧と向きあうアジアとして、または集合無意識)を映し出せる可能性があると再認識した。ここまで書いてきて、この展覧会の空間にいて感じる奇妙な感覚は何かを考えてみたい。それは普段の日本に暮らす我々が無意識に西欧の方を向きながら、一方で内面は内側の共同体に向かって生活を営んでいる事実が目から鱗が落ちるように実感されるのである。高尚な美術を美術館に見に行くのではなく、正に生きている我々が現実社会に向き合うための装置として機能しているように思われた。あの独特の内側と外側がひっくり返ったような感覚。美術館の外側へ出た私は、ここは正にアジアなのだと思った。そしてアジアに流れている時間もここにあると。