ソフィ・カルの限局性激痛 -芸術の社会性についてー

 

 原美術館へソフィ・カルの限局性激痛展を見に行った。限局性激痛とは、医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味する。私は職場が知的障害者の施設ということもあり、生きづらさや痛みや苦しみといった個人的な感情をどのように芸術として作品化しているのか興味があった。

 この作品はソフィ・カルが20代の頃奨学金を貰って日本に3ヶ月滞在した記録を基に作られている。1984年当時付き合っていた彼氏がいた。3ヶ月の日本滞在を終えて彼と会う約束を楽しみにしていたが、会うことなく破局してしまう。その苦しみをパリに戻って友人などに話し、また同様な苦しみを話し合うことで彼女は失恋の苦しみを乗り越えることが出来たという。忘れ去ろうとしたこの苦しい体験を15年経って作品化したという。

 会場には失恋までの日数のカウントダウンを記した写真(日本滞在時の風景など)で構成されていた。中には「いとしいひとへ」と題された彼氏へのラブレターの内容や彼氏からの返事の手紙の内容も展示された。また別の会場ではおそらくパリへ戻った後をイメージした写真と日本語で記された失恋に対する文章の刺繍で構成された作品があった。私はある違和感を持ちながら作品を見終えて会場を出た。

 家に戻り、彼女の作品を回想した。先ず、日本滞在時の風景写真などが感情のこもっていない空疎なものだということ。さらに当時日本語を解さないソフィ・カルがわざわざ日本語で刺繍した文章を作品化していることが気になった。後から彼女へのインタビューで日本に滞在した理由を日本語が分からないからと知った。おそらく彼女の方法論として感情を客観視することが目的でそれらの行為がなされていることは想像出来た。しかし、日本語を解し、日本に住んでいる者にとって理解に苦しむ行動に取れた。この私にしか分からない苦しみとは、裏を返せばあなたには分からないということになる。しかし上に書いたようにその苦しみを誰かと分かち合うことで苦しみから逃れることが出来たと語る彼女の態度は矛盾に満ちているように思われた。現在形で感じる苦しみや痛みを掘り起こすカタチで提示すること自体に意味を感じることは分かるが、その方法として他者である日本イメージを引用するのは日本語を解する主体である私としては気分を害した。この作品がもしパリで開催されたらソフィ・カルの意図に沿ったものになるのではないかと想像した。

 では反対に日本で開催する事が意図されたものであるとすれば、理解に苦しむ。まるで私の苦しみはあなたには分からないとでも言っているようだ。今文章を書いている私は必死になって自分の感情を押し殺している。そうした他者の感情を揺さぶるのが目的だとしたら、作品は成功しているのだろう。まるでソフィ・カルの彼氏の気分だ。

 少し気分を変えて他者の痛みを考えてみたい。“私”には分からない言語や文化に対する態度として現代なら多様性という概念がある。“私”には分からないけれど、思いを馳せる事は可能だ。しかし彼女が題材にした失恋は個人的な出来事である。やはり彼女にとって他者である日本語や日本文化を相対化することに意味があるのか、と書くつもりが「相対化させること」が出来るのは他者しかいないことに今気が付いた。