「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」 -芸術の社会性について-

 

 

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 不思議な映画だった。今思い出そうとしても上手く出来ない。ドイツのアーティストであるヨーゼフ・ボイスの伝記映画を吉祥寺で観た。ドキュメンタリー映画であり、ボイスのインタビューや、実際に残っている映像を繋ぎ合わせている。また周りにいた知人のインタビューで構成されていた。ボイスは彫刻家であり、パフォーマンスや、大学の講師としても独自のスタンスで学生と向き合った。また政治活動にも参加している。ボイスの残した有名な言葉として「社会彫刻」「誰もが芸術家である」というのがある。
 私は現代の美術運動に多大な影響を与えているボイスの実像に迫りたく映画を観に行った。継ぎはぎのストーリーなので順を追って説明は出来ないが、先ず彼がどういう経緯で美術製作に携わっていたのかというところから話したい。彼は第二次世界大戦で戦闘機のパイロットだった。ボイスが一緒に乗っていた兵士に「逃げるしかない」と墜落する飛行機の中での会話を追想する場面があった。ただそれが彼との最後の会話だったとも語っている。ボイスは戦争の傷から極度のストレスに襲われ、部屋に閉じこもるようになった。戦争に行く前から美術には携わっていたが、もう出来ないと考えていた。しかし自らの傷を癒すために作品と向き合うようになっていく。
 有名なパフォーマンス作品に動物と関わるものがある。「死んだウサギに絵を説明する」や「I like America and America likes me」という、ギャラリーでアメリカのコヨーテと一緒に過ごす作品もある。いずれも他者としての動物を通じて生命や社会を炙り出していくボイス独特の表現である。ボイスは度ごとに資本主義の限界を提示して、新しい社会を市民が創造することを問いかけた。コヨーテと過ごす作品はアメリカの資本主義を批判するためにドイツから飛行機でアメリカに飛び、飛行場から直接救急車に乗り、フェルトにボイスが全身くるまれながらギャラリーに向かうというもの。このアイデアは以前ボイスが戦闘機から墜落したのち、現地のタタール人に全身脂肪を塗られてフェルトにくるまれて一命を取り留めたという体験(本人談)から来ている。当時の映像ではそれらのパフォーマンスに対して人々が奇異の目を向けたり、真剣に見る人もいたりと反応は様々だった。そうした様々な反応を呼び起こすことがボイスの目的だったようだ。またボイスが仕掛ける討論会の映像も印象的だった。若い学生がボイスの思想に対して生活と芸術を結びつけるというけれど僕には全く関係ない、ボイスは空論だという声が上がった。それに対してボイスはわざと笑って見せて「それは君の意見だ、僕はそう考えない」と切り返す。
 通常我々のイメージする作品とは、制作された対象としての作品である。しかしボイスは社会も作品のように作り上げるものだと考えると、市民一人一人が創造的になり社会参加していく必要があると考えた。一見もっともに聞こえるが、ことそれが何故芸術と関係あるのかというところにボイスの思考的飛躍があり、そこが周りの人を惹きつけてきた理由でもあったと思う。映像の端々にそうした「成功した芸術作品」を手放しに称揚することからこぼれてしまうボイスの芸術的戦略が我々を社会への問いに向けさせる。しかしというか一見パワフルで攻撃的に見えるボイスだが、映像の中でひっきりなしに吸うタバコが、彼の繊細さを物語っているように私には感じられた。