斉藤義重とは -芸術の社会性について-

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 最初に斉藤義重の作品を見たのは神奈川県立近代美術館での「斉藤義重展」(1999年)であった。私は90歳を超えた作家の展覧会に度肝を抜かれた。その時強く印象に残っているのは今にも動き出しそうな黒い板状のインスタレーション作品(複合体シリーズ)で、新鮮なサラダのような輝きを放っていた。その作品は晩年の作品とは思えなかった。作品というものは熟成して枯れていくような勝手な思い込みを90歳を超えた作家に抱いていた自分は戸惑いを隠せなかった。自らの作品の回顧展のような形式でもあった作品群は、入り口から順を追って近作へと観客を導いていた。いつか斉藤義重のことは書こうと思っていた。しかし中々タイミングが合わなかった。今がそのタイミングらしい。1999年に行われた展覧会を回想しつつ、その先を書いてみたい。

 先ず自分の感覚に迫ってきたのは、電気ドリルを合板に無造作に当てて作品にしたものだった。赤く塗られた作品は木の板でありながら作品である趣を持っていた。思わず自分の口から「在るのに無い」という言葉が出た。漠然と芸術の哲学性を考えていた当時の自分にはピッタリした印象だった。何だろう、この感覚はと次々に見る斉藤作品の魅力に嵌っていった。作品を見ているには違いないが、感覚が遥か向こうからやってくる。目の前にあるのは大概が木の板の作品。木の板は知っている。で?でも向こう側に引っ張られるような引力がある。その向こう側がどこかは分からない。でも少しずつ、異化された感覚がジグソーパズルのように重なり頭の中で形成されていく。黒い大きな木の板を床の上に横に組んでいったような作品があり、作品を斜めから見ることを可能にするものだった。何だかアレっ?となる。現実と、虚構である作品が入れ子になっていく。

 また展覧会場の壁面を積極的に作品に取り入れている作品も印象的であった。時間が横に流れていくような趣を持った作品群はまるでそこから「時間」というものが始まっているかのような感覚に襲われた。といっても今思えばということで、その時は感覚することで精一杯だった。20年前の感覚を今思い出す、文字に書き起こすことは何か意味があるのだろうか。展覧会場の最後の方にある作品で、他者に指示しながら制作された作品があった。色彩が中途半端で統一に欠けたように見えたその作品も今思えば、「他者」という明確なコンセプトから導かれた実験的な作品であったのだろう。

 その1999年の展覧会から僅か2年後に斉藤は亡くなった。その後千葉市立美術館で行われた「斉藤義重展」(2003年)にも足を運んだ。そこでは斉藤以外の人間がインスタレーションを構成して、まるで違う作家の展覧会を見ているようだったのを憶えている。また斉藤が講師を勤めていた大田区馬込の学校でも斉藤作品を見る機会があった。その時の作品の印象は、やはり「時間」に関するものだった。しかももっと引っ掛かりの強いもので、斉藤作品が発している時間感覚が「本当の」時間であり我々が時計と睨めっこしている我々が共有していると思い込んでいる時間はどうやら嘘らしいということなのだ。

 ここまで斉藤を書いてきて、やっぱり斉藤を書いていない気になる。何故か。まるでカフカの小説の中にいるかのようである。何かを求めるが辿り着かない、いやそれこそが本当なのではと答えを得た気になってみる。