絵画と額縁の話から現代アートへ -芸術の社会性について-

f:id:yu-okawa:20201217211419j:plain ホルバイン

 

皆さん、絵画には額縁が必要だと思いますか。この、額縁という発想自体に歴史性があるのだと思います。例えばゴッホピカソの時代、額縁は一般的でした。しかし、ピカソキュビズムゴッホが戸外に出て絵を描いたことは額縁と絵画の関係を良く表していると思います。その後モンドリアンが額縁の無い絵画を成立させたと言われています。しかし、「額縁の無い絵画」とは一体何でしょう。只の飾りでは無いようです。もう一つ、絵画は元々洞窟や教会などといった建物や空間と一体となっていました。しかし、宗教観の変化などにより人間の威厳や権威を表すものとして王や貴族の所有物として壁に掛けられるようになり、額縁が必要になりました。時代が近代になると階級革命が起こり、市民も絵画を求めるようになっていきます。そこでは流通するために額縁が作品を保護する役割も出てきました。

 

 

f:id:yu-okawa:20201217211452j:plain コロー

 

そうした経緯の中で画家の存在や仕事の役割も変化していきます。近代に入ると風景画が誕生してきます。風景画は一般市民の癒しとして主に田園風景が好まれ描かれていきます。画家は市場を意識しながら市民の好みに合わせて風景などを描いていきます。しかし二度の世界大戦を潜り抜けながら人間の尊厳に画家も向き合わざるを得なくなって来ました。ナチ政権は退廃芸術として、人間の尊厳を謳う前衛芸術を否定していきました。画家は「描くという人間の行為」から出発せざるを得ませんでした。近代という時間の中で様々な画家が「何を描くべきか」「どう描くべきか」という問題にぶつかっていきます。そうした問いの中で額縁も問題になっていきました。

 

f:id:yu-okawa:20201217211510j:plain モンドリアン

 

先ほどモンドリアンが額縁を外した最初の画家という話をしました。では額縁を外すとはどういう意味でしょうか。モンドリアンは最初風景画を主に描いていました。宗教的なテーマを抱えながらより本質的な絵画を求めて行きました。そのころピカソとブラックが考案したキュビズムがありました。モンドリアンも影響を受けて独自の発展をさせていきます。モンドリアンは自然を主にテーマしていた中で、木をモチーフにした作品を幾つも残しています。木の幹から枝が伸びている様を何枚も何枚も描いているうちにキャンバスの端(四隅)が木の形と合わないことを問題にしていきます。その内に楕円が画面の中で登場していきます。これはブラックがキュビズムの中で体験したテーブルの楕円の問題とも似ています。この楕円と描いてあるモチーフの関係をモンドリアンが追求していくうちに、絵画の縁の形すなわち四角と描いてあるモチーフの幾何学性が一体となっていきます。これは後にアメリカの抽象表現主義やミニマルアートに繋がっていきます。美術の世界では「支持体の問題」と言われています。

 

 

f:id:yu-okawa:20201217211538j:plain オラファー・エリアソン

 

絵画の形そのものがテーマになることが額縁と関係して、外れていったのです。また「描く行為」と「支持体の問題」も「図と地の問題」として画家の中心的な関心となっていきます。ここまで書いてきて、ある言葉が必要になっていきます。それはホワイトキューブという言葉です。この言葉も近代の言葉で、アートギャラリーや美術館の壁が白いのは芸術の抽象性や、中立的なものを表しています。とするとこのホワイトキューブ自体が新たな額縁になっているのです。別の言い方をすれば新しい制度でもありますね。白い壁に作品が置かれることで芸術が成立するということ。現代のポストモダンではホワイトキューブ自体は問題視しませんが、より社会的な表現を求めることでホワイトキューブを相対化させ、多様な表現(民族や性の問題など)を取り入れる方向になっています。芸術が社会化するということは、作品を見る人も社会の一部であるので見る人も作品となっていきます。先日紹介したオラファー・エリアソンもそうした現代的な芸術の問いに答えようと、美術館と協同して作品を制作して作品を見る人に問いを投げかけています。