Sol LeWitt Art itself -芸術の社会性について-

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ソル・ルウィットのウォールドローイングを見に竹橋の東京国立近代美術館に行こうとしたが、コロナ禍で諦めた。その代わりに動画で沢山のウォールドローイングや他の作品を見ることが出来た。ソル・ルウィットのウォールドローイングは設計図あるいは指示書のような図面があり、その指示に従ってドラフトマンと呼ばれるスタッフが美術館の壁面などに大きな壁画を制作していく。制作に携わる人はひたすら作業に徹しながら芸術を体験していく。芸術が才能ある個人から生まれるという発想が見事にここでは覆されている。ソル・ルウィットのインタビューの中でマルセル・デュシャンの名前が挙がっていたが、そうした芸術のコンセプト(概念)を社会に還元していくようなプロセスがソル・ルウィットの仕事にはある。また動画の中ではソル・ルウィットはバッハやベートーヴェンのような作曲家のように指示書(譜面のようなもの)を制作していると語っている人もいた。

実際に制作している動画を見ていると、スクラビングと呼ばれるスポンジで絵の具を壁に手で回しながら塗り付けていく作業があった。これは「何か」を描くことに囚われてしまうことを避ける狙いがあるのだろう。幾重にも重ねた色彩から生まれる作品は地道な作業の積み重ねであり、そうしたシステマティックなところにソル・ルウィットの芸術性がある。また鉛筆を尖らせて延々と線を大きな紙に描き、黒から白へのグラデーションを生み出す壁画作品の動画も見た。制作途中を見ていると、0から6まで数字が振ってあって真っ黒から真っ白までひたすら目の前の紙を見ながら線の集まりでグラデーションを作っていく。ここでもスクラビングの技法は繰り返される。くるくる回すようにしかもランダムに手を動かすことによって、手元にも集中しなければならないし、自分(スタッフ)がどこの場所(黒から白へのグラデーション)を描いているのか客観視しなければならない。そこを楽しめれば良いのだろうけど、作業が難しいと感じる人の中には手元を見ながら全体を感じるような感覚に苦労しているのかもしれない。

ソル・ルウィットの仕事の多くはこうした「絵画の概念」を多くの人と制作や鑑賞によって共有することが目的だと思われる。マルセル・デュシャンを引き合いに出すならば、既成(繰り返せるレディメイド)の絵画概念を指示書に落とし込むことで芸術を社会化(コンセプチュアルアート)出来るのである。こうした試みは芸術の聖域化を壊すラディカルさがある。芸術の価値に対する挑戦である。芸術家の秘儀(手業)をある種否定してしまう。ミニマリズムのアーティストの中にはドナルド・ジャッドのように自ら作らず工場で他者に作らせる方法も存在する。ミニマリズムの作品の多くが反復による構造が原理となるのは、こうした他者に芸術を委ねる技法でもあるのである。

現代に於ける芸術の社会化は、むしろ「社会を芸術する」という方向であるのだろう。ソル・ルウィットのようなコンセプチュアルアートはその先駆であり、現代ではBanksyなどが皆の知るコンセプチュアルアートなのかもしれない。