ジェフ・クーンズの芸術らしさ -芸術の社会性について-

 

 

   

ジェフ・クーンズ作品             オクサナ・ジュニクルプ作品

今回、ウクライナの芸術について触れた文章を書こうとしていた。その内にある作家に辿りついた。それはアメリカの美術家ジェフ・クーンズ(以下クーンズ)である。何故辿り着いたかと言えば、ウクライナ人磁器作家であるオクサナ・ジュニクルプ(1931-1993)の制作した磁器人形を模したクーンズの巨大なバルーンアート著作権侵害だとウクライナ人側が抗議をしているからだ。クーンズはこれまでも著作権侵害で何度か訴えられている。著作権侵害で訴えられたもう一人のアメリカ人美術家と言えば、アンディ・ウォホールである。様々な有名人の画像を作品に用いて、コマーシャリズムの世界に生きる我々を暴いた。有名であるという概念を芸術として再制作することで価値がずれて新しい価値が生まれる。有名な作品にキャンベルスープの版画があるが、本物ではない有名品の“イメージ”が製品のように生産されることで逆説的に「本物とは何か」と作品を見る人に問いかける。

今回取り上げるクーンズも偽物(あからさまな)であることこそ意味があるということではないだろうか。訴えられることで逆に作品の宣伝になってしまう訳である。大量の工業的製品とコマーシャルで溢れかえる現代社会。どこにオリジナルがあるのかという問題はすでに我々が抱えている問題でもある。クーンズはインフレ-ト(空気注入)という手法で元来の大きさや質感を変えて見る人にイメージの源泉を考えさせる。作品はそれぞれクーンズらしさがあるもののそれらは一様に“らしさ”というあいまいなイメージだ。有名な作品にバルーンドッグという、誰もが見たことのある大道芸に使われるあの“風船の犬”が巨大なステンレス鏡面彫刻となって見る人を惑わす。さらにマルチプルと言われる、複数存在する芸術作品がクーンズのバルーンドッグとして販売されている。ここではオリジナルの概念は剥奪されている。オリジナルとは一つしかない概念のことである。そこに揺さぶりをかけることがクーンズの芸術なのである。

 

 

ジェフ・クーンズ、バルーンドッグ   バルーンドッグ複製作品

ここで、先に取り上げたウクライナ人作家や他のウクライナ芸術についても書いておきたい。私はSNSを通じて知りえた現代のウクライナ人の絵画作品を見てストレートな素朴さが良いなと感じた。しかし一方で作品強度としての弱さも感じた。それらはたまたまそう見えたのか、自分の思い込みのせいなのか分からない。しかし同じ東欧のルーマニアを旅した時、同じく素朴な文化を感じた。その素朴さとは何かを追いかけようと文章を書こうとして、逆に真反対のクーンズの作品と出会ってしまった。現在、インターネット社会は情報(多様なイメージ)が溢れかえって我々の生活を覆っている。その情報の海を泳ぎ切った先には何があるのだろうかと考えてしまう。我々はある決まった方向に向かっていきたい欲望がある。合っているか、間違っているか。決めたがる。私もそうである。しかし現代はそうでもないようである。それぐらい世界が繋がって来ていて、様相が複雑さを増している。そんな現代を奇妙な笑顔の印象のあるクーンズの作品は表現しているのかもしれない。

彼は言う、あなたの経験が芸術なのだと。