2019-01-01から1年間の記事一覧

芸術と眼差しⅡ

今回は彫刻家の眼差しと作品を比較してみます。一人目はハンス・アルプです。ダダイズムの芸術家でダダという無意味な音に表現される、芸術制度を批判する運動に参加していました。先ずは眼差しですが、検索してみると俯き加減で深く思考しているように見え…

芸術と眼差し

芸術家の眼差しを比較することで何が見えて来るのだろうか。そう自分に問い掛けて著名な芸術家の眼差しと、その眼差しで作られた作品を比べてみた。先ずは、アンディ・ウォーホル。ガラス玉のような目が印象的で、何も見ていないかのようでもある。本人の個…

「見える自然と見えない自然」 

表参道のワタリウム美術館で「ロイス・ワインバーガー 見える自然と見えない自然」展を見た。2階の会場に入るとドローイングがあり、移動式の庭が大きなキャスターの台車で作ってあった。ワインバーガーはこの自然を“移動させること”で作品を成立させるのだ…

「表現の不自由展、その後」 -芸術の社会性について-

8月の頭から色々と問題になった、あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展、その後」。脅迫による展示中止に纏わる、報道、また個人レベルでの意見、美術関係者での議論など個人的にもSNSを通じて発信してきた。率直に言って、ここまでネットの情報が作…

メスキータ展を見に行った。

東京ステーションギャラリーへメスキータ展を見に行って来た。白黒の版画のコントラストが特徴的だ。会場は人物の版画から始まっていた。見てすぐに思ったことは、一般的なコントラストではないこと。では何か?というところからメスキータの世界へと誘われ…

トム・サックス展を見た。 

初台のオペラシティでトム・サックス展を見た。ティーセレモニーと題された展覧会。アメリカに居た時、友人が日本のお茶の席をそう呼んでいた事を思い出した。身の周りにある素材を使いながらの作品は、日常の写し絵のような様相のある雰囲気を感じた。作品…

ドービニーと印象派

新宿にドービニー展を見に行った。ふと印象派と風景について考えたくなった。いつも印象派というとどこからが印象派なのか、何が印象派なのかという論議になる。それだけ長い時間掛けて画家が関ってきた画題なのであろう。そんな思いをしたためながら新宿へ…

-芸術と距離-

ジョセフ・コーネル展を川村記念美術館に見に行った。入り口でフランク・ステラの巨大彫刻に目が留まった。しかし次の瞬間、これは絵画だと気が付いた。確かに三次元の金属の塊だが、作品に平面性と正面性が見えた。私は見る距離と角度を変えながら、作品の…

ソフィ・カルの限局性激痛 -芸術の社会性についてー

原美術館へソフィ・カルの限局性激痛展を見に行った。限局性激痛とは、医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味する。私は職場が知的障害者の施設ということもあり、生きづらさや痛みや苦しみといった個人的な感情をどのように…

インポッシブル・アーキテクチャー

埼玉県立近代美術館に、インポッシブル・アーキテクチャー展を見に行って来た。インポッシブル=不可能な、という言葉に逆に建築の純粋性をどこに探せば良いのかという期待を胸に美術館に向かった。実際に建つには至らなかった様々な建築家のドローイングや…

堀内正和のユーモア −芸術の社会性について−

[ 神奈川県立近代美術館葉山館で堀内正和展を見て来た。堀内正和の彫刻は画像等で知ってはいたが、展覧会を見たことは無かった。初期の石膏による頭部などの具象彫刻は良い作品だが何となく硬い感じがした。続く部屋では彫刻が分厚くなってしまうことから開…