2016-01-01から1年間の記事一覧
柳幸典展「Wandering Position」を横浜のBankARTNYK館へ見に行った。柳の政治的な作品は単体としては見たことがあったが全体の仕事を俯瞰する今回のような展覧会は初めてだった。会場に入って直ぐに「Article No.9」と題された憲法九条に関する言葉を分節し…
府中にあるギャラリーDODOで高島芳幸「用意されている絵画」展を見た。光が綺麗に入る建物へ入った瞬間に高島のドローイングに迎えられた。私はそのまま立ち止まってしまった。遠くから音楽が聞こえる。グールドのバッハだ。すぐに一緒に来た高島氏と日常に…
私も作家として参加した、千葉県鴨川市江見海岸にあるEmiスタジオにて行われたグループ展「不良 思考する家」において山田和夫作品に遭遇した。山田から今回の作品のアイデアは事前に聞いてはいた。山田は良く海鳴りの話をしていた。山田のスタジオ一階から…
画像という概念はいつどこから始まったのだろうか。11月13日まで、国立近代美術館においてトーマス・ルフ展を開催している。写真が持っているメディアとしての客観性を問う展覧会。展覧会場で最初に出会うのが、友人をモチーフにして撮った写真を広告写…
第一次世界大戦が起こったころに時を同じくして生まれたダダイズムという芸術運動があった。既成の芸術概念を否定し、詩、絵画、演劇など様々なジャンルで芸術の制度を問い直した。それらは、戦争に対する絶望や虚無的態度から生まれる人間的抵抗を表してい…
職場である知的障害者施設での話。最近、利用者の人たちの主体性の助けになればと表現活動で制作した作品を毎日行われる朝の会で、お互いの作品の感想を言ってもらうようにしている。ここのところ彼らに変化が起きている。最初の頃は彼らの作品を作るときの…
先日、「世界の文字の物語」という展覧会を池袋サンシャイン近くにあるオリエント博物館に訪ねた。文字の展覧会とはどういうものなのだろうかというのが、行くきっかけとなった。入場料を払って中へ入ると、ヒエログラフのハンコが用意されていて、自分の名…
知的障害者施設での話。新しく入った利用者が絵を描きたいと言って来た。おう、じゃあやろうということになってアクリル絵の具と画用紙を用意。最初に、何色が良い?と聞いて何色か選んだ。お皿に絵の具を一緒に開け始めた。いつもやっていてチューブから絵…
先日東京ステーションギャラリーにおいてジョルジョ・モランディ「終わりなき変奏」を見た。「終わりなき変奏」という名の通りテーマは同じだが少しずつ違う静物画や風景画を生涯追求した画家の展覧会であった。時代はピカソとブラックがキュビズムの活動を…
ジョルジョ・モランディ展に行った。モランディの静物画について書きたいと思う。先日高島芳幸の絵画に言及していた時にモランディに少し触れた。その時は2次元と3次元の揺らぎを二人の画家の共通項として記した。 モランディ展の最初の一枚はキュビズム的…
東京都美術館において、現代アーチストセンターによるグループ展で高島芳幸の作品に遭遇した。タイトルは、「無題 あるいは もうひとつの用意されている絵画」である。今まで多くはないが高島の作品は見てきた。高島作品は端的に言えば「感じる絵画」である…
松下誠子主催のパフォーマンスSecurity blanketの打ち合わせに参加した時のことを報告。場所は渋谷のLE DECOというビルの4F。エレベーターを降りて部屋に入るとすでに参加される人達がいた。面識のある方はいなかった。事前に自分がパラフィンドレスを着て…
少し前になるが、両国にあるArt Trace Galleryにおいて行われた画家山田正亮に関するレクチャーに参加して感じたことを書いておきたい。山田正亮(1930-2010)は哲学的で自己言及的な態度で絵を描く画家である。難解である一方、明快で率直な画風が受け入れ…
横浜の石川町にあるATELIER・Kで松下誠子展「企てる庭」を見た。以前見たパラフィンドレスのインスタレーションではファンタジックでありながらドレスが持つ内と外の関係が放つ実存性に焦点があった。今展では、クッションの形をしたオブジェが数点設置され…
府中市美術館に若林奮展を見に行った。以前にもこのブログに若林奮展の記事を書いた。その時の印象と今度は違うのだろうかと考えながら美術館に向かった。若林奮のドローイングや彫刻に目をやりながら私は不思議な気持ちになっていた。私はその時無意識の中…
少し前になるが、森美術館でディンQレ展(2015.7.25-1012)を見に行った。ベトナム戦争をベトナム人がアートとして取り上げていることに同じアジア人として興味を持った。余談だが、同時期に機動戦士ガンダムというアニメの展覧会を同時に森美術館でしていた…