ジョルジョ・モランディの静物画について。

 ジョルジョ・モランディ展に行った。モランディの静物画について書きたいと思う。先日高島芳幸の絵画に言及していた時にモランディに少し触れた。その時は2次元と3次元の揺らぎを二人の画家の共通項として記した。
 モランディ展の最初の一枚はキュビズム的な静物画だった。ブラック的な浅い空間がその影響を表しているように思われた。この頃から背景の水平線が強調され、図と地の問題が意識されている。この時感じたことは静物画でありながら水平線がキャンバスを横断することによって永遠の広がり(無場所性)が出ると共に、見る対象である静物は具体的に画家が見ているものであるというパラドックスが作品に内包されていることだった。
 また、モランディ絵画の一部であるキャンバスの周りの余白が気になっていた。これは先の図と地の問題あるいは内側と外側の問題を表しているのだろうと思った。そう思うと、額縁までが作品と感じられ、作品一枚一枚額縁が違うことに意識が向いた。似ているはずのモランディ作品の印象との差異が面白く感じられた。
差異がもたらす感覚の違いはモランディ作品のテーマだろう。ビンなどのお互いの間隔や、二次元上でもの同士の輪郭がお互いに重なり合い、2次元と3次元の感覚が揺らぐ。あるいは絵画の正面性が高い割にはテーブルの上に置いてある状況(水平性)が描かれているためにテーブルを上から見ているような感覚に捉われる。まるで建築の正面図と平面図を同時に見ているかのようだ。
 さらに絵画表面のテクスチャーの違いも興味深かった。個人的には刷毛目が作る油絵の具の厚みを強調した作品が成功しているように思われたが、薄く溶いた絵の具の作品との“比較”の中に作品が存在しているようにも思われた。面白かったのは展覧会を出た後にあるミュージアムショップで複製画が売られていたのだが、複製画には全くモランディ作品のアイデンティを感じられなかった。これはモランディ絵画の3次元性が引き起こしている感覚ではないかと考えた。
また機会を改めてモランディ絵画を考えてみたい。