「触ってみよう!ワークショップ」 -芸術の社会性について- 

     

 

先日職場の福祉施設で、私が企画した地域対象のアートワークショップを行った。テーマは柔らかい紙粘土を使った感触遊びをベースにしながら自由に制作するというもの。自主性に任せて、成果を問わないというのもワークショップ概要で事前に伝えた。材料は硬さの違う色付きの紙粘土。フワフワしたものや、伸びる紙粘土など感触に訴える材料を揃えた。参加者は成人の重度重複障害の方や、3歳から10歳くらいまでの子供。事前にチラシや、SNSを使って広報し参加を募った。施設としてはアートを介した地域対象のワークショップは初めてで、私も人脈が無いので当日まで誰が来るのか分からなかった。始まってみれば、保護者の家族も交えて賑やかな会場となり、参加者も10人と盛況だった。

先ず参加者に紙粘土を触って貰うことから始めた。マシュマロのような感触や、しっとりした感触、どこまでも伸びるものなど素材の面白さに興味を引く様子があった。参加者の障害の重い重度重複障害の方たちは、柔らかい紙粘土は僅かな力で形が変わり自分の興味関心が形になっていくことに引き付けられていた。また様々な色付き紙粘土は、赤や青や緑など参加者一人一人が感情移入しやすいと考えた。

始まって直ぐに緑色の紙粘土を両手で、もみくちゃにしている参加者を目にした。私では想像も付かない状況に嬉しくなった。粘土板も用意せず、机の上で直接作業してもらった。その方がスケールや枠を気にせず好きに出来ると考えた。机が汚れても後で簡単に落とせるとも思った。そうした思惑が上手く伝わったのか、参加者は思い思いの制作に没頭していた。特に制作に対してアドバイスもせず、「すごいね」「いいね」と声をかける程度にした。驚いたのは様々なバックグラウンド(障害のある無し、年齢の違いなど)を持った参加者(地元ということを除けば)であるのに、紙粘土制作を通した熱量というか、和やかな雰囲気も含めて不思議な自由空間が生まれていた。見たことも感じたこともない空間だった。今思えば何か統率するような力が働かない、ゆるい繋がりのようなものがそこに生まれていたのだろうか。途中、参加者たちから新たな制作道具などリクエストがあったが、そうした自らの発想もワークショップのテーマとして大切にした。また、障害の重い重度重複障害の方たちにとって僅かな力で形の変わる体験は、当事者のみならず周りも交えたコミュニケーションへと繋がったようだった。伸びる紙粘土をジッと見ていた重度重複障害の方は、見学者の方と片方ずつ紙粘土を持ってビヨーンとどこまでも粘土を伸ばしながらその繋がりを楽しんでいるようだった。

1時間ほどして徐々に仕上がって来た人も見かけたので、一旦話を聞いてもらうことにした。まだ出来ていない人もいたが、制作を続けてもいいと声を掛けた。一人一人名前を聞きながら作品タイトルを聞いた。もちろんタイトルなど無くてもいいのだが、一応聞いてみた。反応は様々で、アニメのキャラクターを一心に作っている人もいれば、森を作ったと言ってウサギや、指輪など自分の好きなものを作る人、おにぎりだと言いながら、ひたすらワークショップ中粘土を捏ねていた人、伸びる紙粘土をジッと見ていた人、丁寧に桜の花びらを一枚一枚作る人、またタイトルを聞くと「分からない」と言って私がこれはイルカかなと言うと「違う」とだけ言う人。皆さんの心がそのまま出ていて良いワークショップとなった。付き添った家族も家庭で紙粘土を使って遊ぶことは無かったので、是非今度試してみたいと自身も紙粘土を細長くして遊んでいた人がいた。身近にあるそうした、ちょっとした遊びは親子や兄弟の関係を緩くするのかもしれない。今回の地域を対象としたアートワークショップは、社会的にカテゴライズされがちな個人と個人を緩く繋げる役目を果たしたとも言えるのかもしれない。