高島芳幸 「無題 あるいは もうひとつの用意されている絵画」

 東京都美術館において、現代アーチストセンターによるグループ展で高島芳幸の作品に遭遇した。タイトルは、「無題 あるいは もうひとつの用意されている絵画」である。今まで多くはないが高島の作品は見てきた。高島作品は端的に言えば「感じる絵画」である。今回は東京都美術館彫刻室の独特のテクスチャーの壁に木枠だけで成り立つ絵画が展示された。まず作品を見ようとして感じたことは会場を照らしていた照明だった。私がテクスチャーのある展示壁に展示された木枠絵画を見ようとして、目に飛び込んで来たのが現実の照明の光。絵画空間を探そうとして照明の光に目が行った原因は作品の3次元性だった。作品は壁に掛けられた木枠と床に置かれながら斜めに壁にもたれ掛かる木枠。まず私は展示空間における3次元空間の中、床に接地しつつ壁にもたれ掛かる木枠に今回の作品のコンセプトの匂いを嗅ぎ、高島作品に近づいて行った。
 しかしその感覚は言語化されずにいた。次に壁に掛けられた木枠に目をやった。すると木枠の厚みの中に絵画空間が出現するのを感じた。”絵画の厚み”とも言えるものだった。感覚と実際の展示壁が混ぜ合わさり、「私の頭の中に描く絵画」が出来上がった。その感覚を持って壁にもたれている木枠へと眼差しを伸ばした。壁の木枠と壁にもたれ掛かる木枠はちょうど良い距離で置かれ二つの作品を同時に見ることになっている。ここで、最初に高島作品の入り口になった展示空間へアクセスしていた木枠は一旦絵画空間を得た私の目には異質なものとして映り始めた。これは一体どういうことだろう。
  先日モランディ展に行ったが、テーブルの上に置かれた静物達は時に輪郭を画面上で共有し、2次元と3次元が揺らぐ空間を獲得していた。私は高島作品にもモランディと共有している絵画の問題である2次元と3次元の揺らぎを確認した。とても示唆的な作品だった。