倉重光則「Mellow Time」

 先日、銀座Steps Galleryにて倉重光則「Mellow Time」展を見た。以前の作品青い発光人体EBEの次に来る作品でもある。私はギャラリーに入ると白い16個の強い光を浴びた。それらは四辺形の枠の中に円形の光源とその周りに黒い円が縁取られていた。そして反対側の壁には恐らく倉重氏のものであろう影を縁取った輪郭の内側と外側が薄いグレーッシュな色で塗られているキャンバスが掛かっている。私はそのキャンバス作品を眺めながら、背後にある強く白い光との間に身体が挟まれたような感覚になった。その瞬間に、ピンとかキンとかいう瞬間的な音のようなものを感じた。また、前回のEBEでは自らの身体の正面が絵画の支持体を喚起したのに対して、今展の絵画の支持体は身体の正面と背面の間を貫く板のようなものを感覚した。そして、周りの空間に目をやると乱反射した光によって、ボワっとした光に包まれた不思議な光景が辺りに充満していた。対象との距離感が曖昧にされている現実がフワフワと漂っていた。
 倉重氏は今回は光と影がテーマだと言っていた。たまたま自身の仕事でプラトンの太陽の比喩、線分の比喩、洞窟の比喩を調べていた時、太陽の光によって照らされる知の対象や、洞窟で影絵のように映し出された影を真実だと思い込んでしまう例えと倉重氏のテーマが結び付いた。「私」の身体が四角い光によって照らされて、多数の強い光で「私」の影が消されている。キャンバスに描かれた、“顔の無い”のっぺらぼうのカタチは、影であると同時に倉重氏の身体の輪郭(対象)も表わしている。作品を見ている「私」の影が消えることと倉重氏の「影」が重なっていく。ここで、私の身体の真ん中が絵画の支持体になる経験をしたのかもしれない。
倉重氏の仕事の一つだと私が考える、絵画の側面の問題があの乱反射したフワフワした展示空間の光に紛れているような気がした。そこで私は勝手に、展覧会タイトルの「Mellow time」“豊潤な時間”と結び付けて何かを納得した気になった。