高島芳幸「旧高野家離座敷に色を注す」-芸術の社会性について-

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   画家であり、インスタレーション作家である高島芳幸の展示、「旧高野家離座敷に色を注す」をさいたま市大間木に見に行った。歴史的建造物と現代美術の出会いがテーマ。高野家は代々医者の家系であったという。家主である高野隆仙は江戸に出てシーボルトの弟子である高野長英(親類ではない)の元で学び、また蘭学を学びに長崎へ行った。そして地元村民の医者として過ごした。師高野長英が政府に批判的であったことから投獄され後に逃亡した際、この離座敷で匿った。高野家は地元の文化人であり、様々な茶会がこの離座敷で行われたという。

 私は車で展示会場へ赴いたが、会場は住宅地の中にあった。ひっそりとした門を潜ると急に時空が変わるのを感じた。通常現代美術はギャラリーや美術館で作品と出会う。しかし今回は江戸時代の歴史的建物と敷地を展示会場として足を踏み入れることとなった。高島の芸術行為は、900mm×1800mmの板材を原色で彩色し、家屋と敷地に「色を注すように」置かれている。私は石畳を一歩ずつ進みながら視界の中で絵画を感じたところで足を止めた。あるいは止めるように高島作品から促されたようであった。「色が注された風景」は、フッと時空の狭間となって私の前に表れた。不思議な感覚だった。高島の絵画行為は、対象として捉えるものではなく時空を存在させるスリットのようなものだ。絵画が現れる点のような地点から身体を前に進め、敷地の奥へと足を進める。家屋の中には茶室があり、床には緑色の板材が色を注しており部屋の角には白く塗られた細い角材作品がスッと空間に挟まっていた。

 高島の絵画行為であるこうした「注す」や「挟む」といった所作は継続して過去から続けられているが改めて今回考察してみたいと感じた。私が今回感じたことは、石畳を通じた時間の感覚であった。歩を進めるにも石畳が進む道を決定してしまう。その導きと高島の所作(色を注す)が互いに互いを反射させて空間を作っていく。歩んだ足を回転させて逆に進むと先に見た絵画空間は記憶の奥へ退いてしまう。そして新たに歩を進めながら新しい絵画に出会っていく。その間、時空の感覚に囚われ現代と江戸の狭間に身を委ねる。すると足元の植物や、家屋の建材などの時間の重なりやズレが際立ち始め、我々の生きている時空の重なりが粒のように私の前に立ち表れ始めた。

 またこうした体験に身を委ねていることから視点を変えて歴史自身に想いを馳せると、急に歴史が対象化し、情報化し、家屋が只の遺構に見えてしまう。高島の絵画行為は時空に跨っているのである。時空に跨るには身体が感覚し続けなければならない。感覚を止めて認識を始めるやいなや、絵画はどこかへ消えてしまう。高島は自身で制作した展覧会パンフレットの冒頭で、「支持体は用意されていない」とか「支持体を選ぶのである」と記している。それは主体的な観客が身体の移動の中で「時間という歴史」と「空間という場所」を選択し、今いる此処から観客が「自身も」絵画という行為に参加していくのかもしれない。そうした行為はとても社会的な行為であり、常に誰にでも開かれているのである。

 高島の絵画行為である彩色された板材は家屋や敷地の至る所に及んでいて、家屋の裏、厠の周りにもスッと置かれていた。作家自身と私は話しながら我々の周りにも様々な時空のズレが無数に存在していて、一見生きている我々しか存在しないかのように日々振舞っていることが分かった。実は時空の重なりの中で我々は生きているのである。