柳幸典展「Wandering Position」(芸術の社会性)

 柳幸典展「Wandering Position」を横浜のBankARTNYK館へ見に行った。柳の政治的な作品は単体としては見たことがあったが全体の仕事を俯瞰する今回のような展覧会は初めてだった。会場に入って直ぐに「Article No.9」と題された憲法九条に関する言葉を分節し、LEDの電光掲示板で光らせた作品と出会う。散在した、あるいは切り離された平和への誓い。断片化された平和への言葉は、全体として見るより強いように見えた。横たわるように置かれた言葉たちは生き生きとしていた。奥の壁には今見た言葉が繋がった憲法9条があった。それは荘厳な感じを受けたが、最初の「日本国民は」という言葉に現実に暮らしている我々が重なっていないことを実感した。
次にHinomaru Projectというテーマの会場へと移る。そこで感じたことは柳の作品の政治性とは裏腹の優しさだった。いや、私の方が政治的な作品は厳しいものだという思い込みがあったかのかもしれない。そうした脱臼感に襲われながら、一つ一つ日の丸をモチーフにした作品と対峙する。日の丸の赤い部分を様々な漢字の名前のハンコで押した作品は優しい雰囲気を醸し出していた。しかし今思い出してみれば、漢字を使っていない日本人もいるはずだ。そうした日本への一面的なイメージを柳は持っており、それが柳の作品を明るくさせている。しかしそれは同時に政治的には非常に傲慢な態度に映ってしまう。柳はこうした自国の国旗に対する宙吊り状態を作り出しながら、政治的に曖昧な空間を作り出していく。その政治的に曖昧な状態が普遍的な人間像を思わせる部分もそこにはあったかも知れない。
Ant Farm Projectと題された世界の様々な国の国旗が砂絵になっている作品に出会う。そこを無数の蟻が通り抜け、その国旗同士の繋がったパイプを通して出口に当たるアクリルケースには様々な色が混じった砂を鑑賞者は見ることになる。私はここで気付いたのだが、柳の作品の構造にある視座のギャップから作り出される曖昧とも現実とも取れる感覚である。所謂万国旗を俯瞰で見る私達は本当に俯瞰で世界を見ることが出来るのだろうか。蟻の視点では様々な国の国境は境が無いのかもしれない。また、自国の国旗の中で生き絶えた蟻も居て妙にリアルである。そこには、アメリカとソ連の国旗が蟻によって一つのアクリルケースの中で混じる作品や、韓国と北朝鮮の国旗が同じように混じる作品がある。これも 同様に政治的な曖昧さをどこかに含んでおり、現実とも理想とも取れるような視点が用意されている。
次に遭遇したのはPacific projectである。太平洋に沈んだ恐らく第二次世界大戦時の戦艦の鋳物で作られた模型が床に置かれている。しかし、砲台などは別パーツになってプラモデルで言うランナーに繋がったまま、他の武器と並んで展示されている。一見プラモデルのように見せているのは、柳流のユーモアでもあるがそれ以上にスケール感を一旦放棄することによって、人間の視座を宙吊りにする技法でもある。また、現在の実際に沈んだ戦艦の砲台の写真には沢山の珊瑚が住み着いていた。ここにも戦争の血生臭よりも一旦引いたユーモアが感じられ、そこにある一定の現実を感じる事が出来る。ここで一つ断って置きたいのは今回の全ての会場にある柳の作品にはほとんどと言っていいほど作品の説明が無いことである。これは鑑賞者である私達が主体的に作品に関っていかなければならないことを物語っている。
Fieldwork on Alcatrazと題された空間へ入った。アルカトラズは島の上に建設された有名なアメリカの刑務所である。今は観光客が訪れる事が出来る。そこには独房の写真があり、また実際の壁のサイズをかたどったドローイングのような作品が壁に掛かっており、鑑賞者は作品の空間と独房で過ごす空間を同時に感じることになる。アルカトラズ刑務所は長い歴史があり、南北戦争でのアメリカンインディアン、様々な捕虜、犯罪者が収容された。柳のフィールドワークとして、使われなくなった収容所のガラスの破片でかたどられたアメリカ合衆国の形が収容所の廊下に置かれ、写真作品になっていた。その様々な破片が様々な人を表しているようであり、歴史を眺めている柳の身体をそこに感じた。
これまで柳の作品を見ていく中で私が印象的だと感じたことは、政治的な作品を作る場合政治的な立場をはっきりさせる事が多い。しかしあえて柳は曖昧な“私”に拘り続ける。もちろんモチーフは日の丸だったり、刑務所だったり、原子力だったりする。その中で柳は政治的に正しい場所を探している訳ではなく、かと言って普遍的な人類を志向している訳でもない。そこには「生きている私」としての柳の身体が常に作品に横たわっている。展覧会のタイトルのように”Wandering Position”なのかもしれない。その愚直なまでのドメスティックな感覚は3Fに上がっていくと現れる様々な日本国内の小さな島々で展開されるアートプロジェクトにも反映されている。ここまで見てきて柳のアポロン的な明るさが“日の丸”をモチーフにさせたのではないかと思うほど、実際の政治ではなく、もっと巨視的な視点が柳には用意されているような印象を持った。
最後に見た作品Project God-zilla(Landscape with an Eye)では沢山の廃棄物の山の中に原爆雲が映る大きな目玉を映像で表現し、設置していた。そこでも柳の作品を作る手は優しく明るいものであった。