色が生まれる時。

 知的障害者施設での話。新しく入った利用者が絵を描きたいと言って来た。おう、じゃあやろうということになってアクリル絵の具と画用紙を用意。最初に、何色が良い?と聞いて何色か選んだ。お皿に絵の具を一緒に開け始めた。いつもやっていてチューブから絵の具が出て来るのは何だか楽しめる。途中から、キリがなさそうだなと判断して、とりあえず描いてみようかと提案した。
 最初の日はオレンジと黄色を画用紙の端っこにローラーで塗っていた。聞くと花を描いたらしい。色が好きなようでそれが素直に伝わってくる。しかし左利きだからか画用紙の左端辺りしか描かない。不思議だなあと思いながらも、画用紙の上で絵の具同士が混ざる様子や、単純に塗ること、水を付けて描くと筆などの抵抗感が変わることを楽しんでいる。どろんこ遊びみたいで楽しいね、と利用者に声を掛けたが、“楽しい”と返事が返って来た。
 描くこと自体を楽しめるタイプは現在進行形で移り変わる絵の具の様子に見入っている。絵を描くことは、結果としての絵ではないことを改めて教わった想いであった。
 次の日、同じように画用紙と絵の具を用意してスタート。作業机が白いからか、画用紙も白いから端っこが分からずにテーブルまで絵が延長されていていた。まずは新聞紙を画用紙の下に敷いて画用紙の端が分かり易いようにした。しかし利用者は最初の日と同じように画用紙をはみ出して絵を描き始めた。おっ、凄いねえ、やるねえとか言いながら、はみ出して描いてこの後どうするのかなと思った。
 私は画用紙を越えて、作業机を楽しそうに塗っている利用者を見て、3次元に絵を描きたいのではないかと思い、木片を探し始めた。15cm四方の板が見つかった。大き目の刷毛で、塗るとも描くとも言えない状況で利用者は板の上で嬉々として絵の具が混ぜ合わされることを楽しんでいた。ピンクがいつの間にか下に塗られた色で紫に変わっていく様子に驚いていて、楽しくてしょうがない気持ちがこちらに伝わって来た。
 板を越えてはみ出して絵を描くことはなかった。私ははみ出さないように描けたことよりも、絵を描きたいと言いながら画用紙を無視して板の上で絵の具と戯れていた利用者の感性に“感じるもの”があった。