ブランクーシの公園に行く。”芸術の社会性について”

 有名なブランクーシの公園は、ルーマニアのトゥルグ・ジウの町にある。私はブランクーシの彫刻に対して確かめたいことが沢山あった。その衝動を確かめるべく、飛行機に乗った。最初に首都のブカレストに降り立ち、そこでレンタカーを借りて4時間ほど掛けてトゥルグ・ジウの町へと向かった。途中の町では家の前のベンチに老人たちが腰掛けている姿を良く見かけた。広い通りをどこからか歩いてくる人も見た。全てがゆっくりしているように見えた。トゥルグ・ジウは小さな町である。そのメインの通りにブランクーシの公園がある。公園は二部構成になっていて、無限柱のある公園と、接吻の門、沈黙のテーブルがある公園に分かれている。その二つの公園は通りを挟んで徒歩で20分くらい離れている。
 前日に、泊まった宿の人からルーマニアの歴史について、ブランクーシの公園について少し話を聞いた。ルーマニアはこれまで様々な民族に支配されてきた。それを彼はサバイブという言葉を使って説明してくれた。そしてブランクーシの公園は第一次世界大戦の鎮魂のために作られたと。そして、英語では“Endless column”となっているが、それはルーマニア人としては正確ではないと言っていた。”endless”ではなくて、”nothing end”であると。私は、”終わることのない戦い“と解釈した。また、沈黙のテーブルに関しては、ルーマニアの考え方で生者と死者が出会う場所だと聞いた。
 私は車を止め、先ずは無限柱へと向かった。天気が良く、晴れ渡っていた。なだらかな丘のようなデザインの公園。芝生と砂利道で構成されていて、公園の中心に無限柱はあった。離れたところから無限柱の周りをゆっくり廻った。ギザギザの形の柱に太陽光が当たり、見る角度の違いにより全く違う表情を見せた。シャープな形が持つ二次元性のコントラストと、見る角度によって違う三次元性が頭の中で科学反応を起こす。圧倒される。日本で作品の画像を見ていた限りでは、天まで届く所謂“無限”のイメージを抱いていた。しかし、実際に見ると地面に近い部分と先端部分では形が異なり、造形として完結している。そして重要なのは所謂彫刻ではないのだ。彫刻の定義をすることは今憚るが、ロダン以降彫刻のマッス(量塊)の否定から始まる近代彫刻の延長にありつつ、彫刻の存在論へと向かっている。単純な幾何学的フォルムに対して複雑な印象を見る者に与える。そこに啓示とも取れる感覚が訪れる。私は様々な角度で立ち止まり、線の織り成すコントラストと変わり続ける印象に敬服した。
 無限柱の公園を後にして、住宅街を抜けながら接吻の門と沈黙のテーブルへと向かった。緑の多い素敵な公園だった。ほどなく接吻の門が表れた。無限柱と同じく、単純なフォルムに複雑な印象が混ざっていく。平面的なブロックのような門のフォルムから接吻のモチーフを彫り抜いた形へと視線が誘われる。その表面がとても艶かしい。無限柱は何故か近づかなかったが、接吻の門は近づいて見た。石の肌と単純な形のコントラストが美しい。傍に石の肌を半分残したベンチの彫刻がひっそりとあった。
 接吻の門を抜けて、一人で腰掛けるような形の彫刻があった。そこで気付くことがあった。無限柱のコントラストの強い直線から徐々に曲線が彫刻に表れて来るのだ。何かが繰り返されながら変化していく感覚。しかしそれが何かは分からずに、とうとう沈黙のテーブルにやって来た。石の丸いテーブルの周りに、囲むように丸い椅子が並ぶ。私は眺めながら周囲を歩き廻った。本当に沈黙していた。今まであれほど雄弁に形が語っていたブランクーシの彫刻。ここに来て形は黙っている。見事に黙っている。思考を促すというより、言葉を呑みこんでしまう。
 ここで私は一つ発見したことがあった。テーブルというものは“何か”を置く台である。当たり前だ。しかし、そのテーブルのフォルムがブランクーシ特有の彫刻の台座のフォルムと同様だったのだ。それは先ほど触れたブランクーシが放つ、彫刻の存在論と重なる。私が確認したかった沈黙のテーブルの作品画像のテーブルの表面や椅子の表面に見た、天に向かっているような感覚はそれだった。そういえば、接吻の門の傍にあったベンチの表面も同じ感覚だ。
 最後に、これが最も大事だが、ブランクーシの作品に触れて感じたことは、ルーマニアを訪れて、見たり触れたりしたことが見事にブランクーシの彫刻で繰り返されているのである。みんなが座っていたベンチ、庭先で良く飼われている鶏、ブロックを積み上げて作るルーマニアの建築。私にはブランクーシの彫刻はルーマニアの日常そのもののように思えた。