描くこととイメージ

 先日図と地の問題のところで、「絵画の問題」を描くこと自体からイメージへとスライドさせたと書いた。自分でも書きながら説明が欲しいなと思い、今日書いている。
 私は絵画がどこから始まるのかという疑問を持っていた。それを検証するために何を描くかではなくどう描くかが問題になった。私は描くことの行為性は尊重しながら、抽象表現主義的な絵画ではなくオブジェ志向の強いものを考えていた。それは絵画の観念を一旦物質化し、物質的なものの中に絵画を見つけようとする試みだった。
 どう描くか試行錯誤しながら、線を描くことから点を置くことへと描く行為は移行した。それは描くことの最小単位を見つけようとするものだった。そして支持体をベニヤ板にすることで絵画の表面の問題から解放され、描くことの直接性が獲得出来たかに思われた。しかし描くことが極端に自閉的になり表現が自足してしまい、作品が構造的になりすぎた。見えてくるのはベニヤ板と点だけになった。
 私は問題を打開しようと、イメージを作品に取り込むことにした。描く行為からイメージへ。この絶対的な飛躍に、驚く必要はないのだろうか。赤ん坊がぐるぐる描きから何かを読み取り始める時、何かが始まる。私はどうもこの辺りでぐるぐる回りながら色々な所に穴を開けているみたいだ。