同定しがたい感じ。

 昨日仕上がった作品を見ていて、良い作品だなと思った。いつも出来上がった作品を見てそこから触発される思考に身を任せるのが習慣になっていた。今回の作品に関しては前回当たりが付いてきた部分を除外してまた新しい状況が生まれるのを期待していたのだった。それはやはりイメージに纏わる問題だ。ミニマリズムがそれまでの美術にあったイメージの空間を否定し、物質からなるアートを展開して物事を還元していった。しかし還元していったかわりに物事がある絶対性を帯びる(それが彼らの戦略だった)ことになりある種の不自由さが生まれた。私は逆に物質に還元することにより多元的になるよう志向してきたところがある。それはイメージか物質かという二元論ではない方向を探ることであった。しかしそれには危険が伴う。AでもなくBでもないという状況は一種、同定(生物学などで種名を限定すること)しがたい感覚を生み出してしまう。脳の認識が作品の前で彷徨い漂流する。漂流した先に何があるのか。
 私の作品を支える概念の中で「運動」のイメージがある。「運動」っていうと堅いので「動き」が良い。常に流動的でいること。同定しがたい感覚と流動的であるところはどこかで繋がっている。時々作品を見ていると「永遠」とか「無限」なんていう言葉を連想する時もある。




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