他者の身体



私は日々知的障害を持った人の身体介助をしている。その中で感じたことがあった。先日ある脳性麻痺の利用者が加齢に伴い、1週間ほど筋緊張(身体のこわばり)の強い日が続いた。普段よりも身体が反り返るような状態だった。私は何度も抱きかかえてトイレ介助を行い、あるいはリハビリベッドへ移動させたりした。普段と違う利用者の身体の状態に私の身体が慣れず、私は疲れがピークを越してしまった。人を抱きかかえるというのは力の問題だけでは無い。信頼し合える関係が在ってこそ成り立つのである。神経と身体の疲れがピークを越えた私は放心状態で休日を過ごした。
 身体に重度の障害があることは、介助する側に全面的に身体を預けることになる。私は最初その預けられている身体に戸惑いを感じた。しかし同時に人の存在の根本的なところを見たような気がした。私はその体験からニギリという、紙粘土を握った造形を彫刻と認識する作品を思いつくに到った。そしてニギリはその後利用者の気持ちを表現する活動へと変化した。
 これからも他者の存在とは何かを感じ続けることになるだろう。