絵を描くということ

 私が働いている知的障害者施設の利用者で、絵を描きたいのだけれどもどう描いたら良いのか迷っている人がいた。その時々で最初は描いているモチーフの新鮮さで楽しく描けるのだが、長続きしなかった。そんな中、その人の制作している様子を見ていると構成のセンスがあることが分かってきた。色使いが上手なのはすでに知っていた。何かに繋がらないか模索していた。
 また、写真を撮ることが好きで雲の写真をよく撮っていたのだが、その写真の構成力が素晴らしく、それを無意識の感覚でやっていた。集中力の続かないその人には写真は向いていた。だが私はその人のそういう力があることは知っていたが、その力が制作する時間の中で豊かに発揮される機会を上手く提案してあげることが出来ずにいた。
 しかし、ある画材がその人の制作を全く変えた。その画材とはカッティングシートだった。たまたまある方から譲って頂いたものだった。最初は慣れなかったが、ハサミで四角く小さく切り、白い台紙にぺたぺたと様々な色をリズミカルに貼る姿に私は、いいぞ、とほくそ笑んでいた。それは素晴らしいモザイク画だった。
 出来上がった作品を見てみると、あれだけどう描いたら良いのか分からなかったのが嘘のように豊かなイメージが喚起されていた。それも固定されたイメージではなく、生き生きとした躍動感があった。私は「何だ、描けるじゃん」と思った。それは何かを描こうとして描いた痕跡ではなく、流れるような身体の動きがイメージを伴って定着しているのである。それはカッティングシートの貼り方のリズムやハサミの入れ方が毎回違うことからも伺える。その時々でその人は身体で何かを感じながら、ハサミを動かしカッティングシートを切り、貼っていたのである。そこには筆では描かれていないが正に絵が描かれていた。その人は上手く描きたいけれど描けない、けれども絵を描きたいという欲求を強く持っていた。
 私は完成した作品を見比べながら、絵を描くということについて考えようとしていた。絵を描くということは完成したゲシュタルトをなぞるという行為ではなく、自己自身がある画材を身体を通して起こす事件のようなものではないかと。