タイトルの謎

 作品にはタイトルがある。しかし、「無題」あるいは「untitled」のように作品自身に見る人を委ねる方法もある。作品は他者として作られるものであり、作られたものであることを強調するために、タイトルをつけないことがある。私は作品を作る行為自身を考えてきたので、タイトルと無題の関係が頭にあった。
 知的障害の重い人の作品の中には発語が無く、結果的に無題となることがある。そういう作品は行為性の強い身体的な作品が多い。しかし、そこに見られるのはただ単なる行為の集積ではなく、明らかなイメージの痕跡がある。
 私が働いてる施設でこの間こんなことがあった。紙粘土を素材に作品を作る人が居て、いつも作品を作った後にタイトルを聞いている。その人はタイトルに動物の名前を付けている事が多く、私は動物が好きなのかと思っていた。しかし先日その人の作品に桃太郎の話に出てくるキャラクターが登場して、その日に最後に作った作品は「きびだんご」であった。その次の日に作った作品は、UFO,地球、宇宙、火星だった。私ははたと思った。これらはその人が読んだ本の内容なのではないのかと。
 そう思ったのは火星とタイトルが付いたものが丸くなかったからである。さすがに肉眼では火星を見たことが無いだろうと思った。
 その人は紙粘土の感触を楽しんでいて、手の中で両手でもみもみした痕跡が造形化されていて、見る人に伝わってくる。紙粘土が、作っている内に何かに見え始めてくることもあっただろうし、何となく形になった作品もある。
 作品を作るという時間の中で、頭の中にある無意識が手を動かし、作品が出来ていく。タイトルを聞かれて、無意識が有意味性を帯びて名前が付く。この無意識とタイトルの関係性が作品を作る、あるいは表現をするという事態を表している。
 私は作品を作るということは無意識から出発していると考えている。