When I close my eyes 「目を閉じて作品を作る」展を振り返る。  

*目を閉じることで見えたこと。

      

 今回7人の作家に「目を閉じて作品を作る」をコンセプトに企画者として制作を依頼した。この実験的な試みを快く引き受けて頂いたことに感謝したい。また会場を提供したKosmos lane studio&gallery の大原さんにも同様に感謝したい。参加作家は、飯島愛、大藪龍二郎、日下部泰生、倉重光則、坂出夕海子、永瀬恭一、山田葉子であった。
 まずグループ展の企画ということでギャラリーの大原さんから話を頂いた時、あるテーマに沿って作品を「並べる」展覧会ではなく、異なる作品が集まることで作家の実存が浮かび上がるイメージを思いついた。それは作品制作の他律性をクローズアップすることによって「作品」の主体に揺さぶりを掛けることが目的だった。
 本題に入る。7人の作家へA4サイズに展示作品制作に於けるメモを書いてもらいパネルに貼って展示した。私は作家からメールを通じて各々のテキストを読み比べながら、ある共通点に気が付いた。全作家を通じて目を閉じることで制作する行為が前に出て、身体性が露わになることだった。これは企画段階で想像はしていたが、それぞれの作家の身体性が透けて見えるのは端的に驚きだった。
 会場全体に広がっていた一種の透明感のようなものは何だったのだろうか。来場者は「心がすっきりした」「清々しい感じがした」などそれぞれの感想を持ったようだ。展示作家の日下部泰生は坂出夕海子の絵画”ダンスフロア“を見ながら、作為が見えないからではないかと言っていた。また大藪龍二郎の目を閉じて触覚を頼りに作った茶碗”When I close my eyes”を眺めながら花を活けたくなるねなどとその自然さを感じた。それらは決して偶然性だけに頼ったものではなく、作家の意図の基に作られているのだが、意図自体は作品を成立させる要素に過ぎない。それよりも身体の個体性から来る他者感覚がその透明感を作り出しているのではないかと思われた。
 次に気付いたことは目を閉じることによって記憶が表出することだった。作品として表れているのは永瀬恭一と飯島愛、そして70年代に制作した作品を再展示した倉重光則。永瀬恭一はマネの「ローラ・ド・ヴァランス」の図版を一旦記憶して、目を閉じて模写し図版の記憶が消えたらその一枚の制作が終了するというものだった。作品は連作になっており、制作が進行して行くと描く身体(脳も含めて)の記憶が作家に蓄積され制作に於ける情報量が増え、描線も滑らかになって「描き」始めるのである。飯島愛は目を閉じたことで自身の心に去来した兄の死を追憶しながら今を生きる作家の心理を写真“2012.12.02”で構成した。写真という媒体が元々記憶と密接なメディアであることを改めて露呈した。倉重光則はカミュの「幸福な死」の書物にドリルで目を閉じながら穴を開けた作品“Odd present”(1974年制作)を再展示し、自身の現在の制作に繋がる記憶を紡いだ。その記憶に裏打ちされた制作姿勢は驚くべき持続性があった。
 さらに日下部泰生のテキストに、建物の屋上に上がり、太陽の光や温度を感じながら目隠しをして描いた(“網膜の太陽”)とあり、天と地に挟まれた身体を想起させると共に「作品を制作する」ということは世界と作家が繋がって行くことなのだと思わずには居られなかった。この繋がっていく感覚は普段は芸術の形式の下敷きになっていて中々表に出にくいのだがそれが可視化されることは興味深い。
逆に目を閉じることによって恐怖を感じた作家は山田葉子である。日下部泰生と対照的だ。山田葉子は目を閉じた自分と向き合い恐怖を感じながら用意してあった紙粘土を手と足で掴んだり、踏んだりしてその緊張した心理を表現”光と闇“した。そこには造形以前の造形とも言うべきものが横たわっていた。
 この7人7様の制作姿勢の違いがありながらそこに横たわる通奏低音を何と呼べば良いのだろうか。永瀬恭一はテキストの中で、今回の作品制作は絵を描くことの「基底材」としての身体と空間の再発見であったかもしれません、と書いている。
 最後に、このグループ展が終わった後私は何か精神が入れ替わったような感覚に捕われている。