ドクメンタ15とタリン・パデイの活動

 

ドクメンタという芸術祭がドイツのカッセルで5年ごとに行われている。今年は15回目で、元々ナチス政権下、退廃芸術とされた作品を再展示することから始まった。近年、脱西欧中心主義を掲げ、積極的に非西欧国の作家を招いて独自の価値観を形成している。その中で今回インドネシアのアートコレクティブである、タリン・パディ(1998~)が展示作品による反ユダヤ主義問題で作品を撤去することとなった。私はこの問題に興味を持ち、調べてみた。

インドネシアスハルト政権が独裁体制を批判されて1998年に退任することと同時に生まれたのがアーティスト集団タリン・パディである。少ない資料を見ながら、木版画や広告バナーや段ボールのプラカードを表現手段としたり、パンクバンドを通じて音楽で独裁政治を批判するなどの活動を展開してきた。本人たちも自らの政治的な表現を公表している。彼らは従来のアーティストのように作品を制作しない。彼らにとって作品を作ることは社会を変えていくことのように思われる。制作というより、活動といった印象。

 

そうした中、ドクメンタ15において問題の作品「人民の正義」がドイツのカッセルで展示され、撤去された。一部始終を紹介した動画があったので見てみた。巨大なバナー作品(大きな広告やポスターのようなもの)は3部構成になっており、左側には戦闘服姿の世界各地の諜報部員などが描かれる。また真ん中には、牢屋に入る腐敗した政治家や資本家などが描かれ、右には体制に反対し戦う農民たちが描かれている。ここで問題になったのは、画面左側の人物の描かれ方である。イスラエル諜報機関であるモサドの文字が頭に描かれた人物とそのすぐ隣にはSSの文字が入ったナチスの親衛隊をイメージした人物が並んで描かれている。この表現に反ユダヤ主義団体から抗議があり、ドクメンタ側が謝罪、タリン・パディも謝罪した。ここから論争が始まり、ドイツの政治家がドクメンタに対し批判的な声明を出し、事態は大きくなっていった。

これは、数年前行われた愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」の件に構造的に似ているかもしれない。国際展という開かれた場でありながら、開催地の独自性が出せず、中央の思惑に翻弄されてしまう。反ユダヤ主義とはユダヤ人およびユダヤ教に対する敵意や憎悪がある事柄を指す。しかしまた、今回のドクメンタの作家にイスラエルの作家がいないのは何故かという批判も同時に招いた。この複雑な事態を招いた要因の一つにタリン・パディの表現にドメスティックな部分があったことはあるだろう。彼らから見える世界としては、独裁体制を批判するのが目的であるため、ナチスモサドが同じ分類に分けられてインドネシアの農民と対置されてしまう。ドイツ側からすれば、政治的に複雑な立場であるのにインドネシアというローカルからすると同じように見えてしまう。非常に印象的に国際展のあり方を問う形に逆説的になったといえるだろう。ドクメンタの主催意図はこうした脱西欧主義にあるために、政治的であり、社会的な表現を取ればおのずとメジャーとマイナー、グローバルとローカルな立ち位置が露呈されてしまう。それこそがドクメンタ側の本質的な意図であるだろうが事はそんなに単純ではないだろう。

しかし国際的な場でコミュニケーションの可能性を探る良い例となったといえるだろう。日本でも芸術の国際展は開かれているが、先述した愛知トリエンナーレの件を含めて開かれた場を期待したい。