ガエターノ・ペッシェ -芸術の社会性について-

              

 

ガエターノ・ペッシェ(以下ガエターノ)という人がいる。イタリア人建築家であり、デザイナーである。それとも彼は芸術家だと紹介した方が良いのであろうか。私がデザインを学んでいたころ彼の名前を知った。芸術的な家具に憧れていた私にはスター的存在であった。樹脂を使い、フェルトや、溶けたガラスなど流動的であり有機的なデザインの家具やプロダクトを次々に発表していた。私が学生であった80年代から90年代当時の家具デザインや建築はポストモダンのデザインが流行していて、機能性よりもイメージが形を左右していた。その中にあって、1969年に発表していたガエターノデザインの「Up Sofa」はポストモダンを先取りするデザインだった。B&B Italiaから発売された圧縮発泡ウレタンで出来た有機的なフォルムのソファは、家族や社会の囚われの身である女性をイメージしたデザインで、足を乗っけるオットマンが囚人の鉄球を表している。後にマンハッタンの街をイメージした「Sunset In New York Sofa」というソファを1984年に発表。かつての元気のあったニューヨークをイメージして太陽がビルディングから顔を覗かせるというもの。これらガエターノのデザインに共通しているのは実用性よりはメッセージ性が強いということである。

 

私がこの原稿のための資料を調べているうちに1984年に制作した樹脂製の椅子の話をガエターノがしていたのを見つけた。彼は同じ型で9つの椅子(後のPratt Chair)を作ろうとしていた。しかし、樹脂の配合の違いで1個目は固まらずに骨のない人間の身体のようにぐにゃっとした形になってしまった。それは彫刻のようでもあった。2個目はゼリー状の形になり、子供が座れそうだったが、座ると壊れそうだった。3個目は子供は座れそうだったが、大人が座ると壊れそうだった。4個目5個目と作るうちに、あるものは芸術に、あるものはデザインになることに気づいていく。その瞬間瞬間、物は変わっていき誰にもそれが芸術かデザインか分からない。ということを語っていた。また彼の工房を訪ねた動画を見た。綺麗なデザイン事務所という感じではなく、様々な樹脂や、発泡ウレタンを使った家具などの模型が並んでいた。一つ一つのオブジェが詩のようであり、切ると血が出るような情熱に溢れたものばかりであった。ガエターノは、「建築」とは建物では無いと言っている。「建築」とは驚きであると。何か新しい言語を発見したりすることだと。以前私が取り上げた建築家にジョン・ヘイダックというアメリカ人がいたが、彼もアンビルトの建築家と呼ばれて建築を哲学していくことに生涯を掛けた「建てない建築家」であった。

ここまで書いてきて、芸術の社会性という私のテーマからガエターノの仕事を見た時、正にガエターノの仕事は芸術の社会性を表していると感じた。社会性とは、ある種の生産性「建物を建てること」では無い。むしろその逆である。ガエターノは、すべては動きの中にあるとも言っている。静的であることは最悪であると語っている。あるものが繰り返されることは、退屈である。人生の喜びや希望をどこに見つけていくのか。彼のデザインした時計に80年の時を刻む時計があるそうだ。あまり売れなかったと言っているが。今日と明日は同じではない、時間を浪費しないことだと。お金ではないのだと。自分を表現することなのだと。自分を表現するには「やってみる」しかないのだろう、とガエターノに言われている気がする。