他者の身体になる

 前回の施設の利用者の方の絵画制作にまつわる話の続きです。
 角材絵画から平面の絵画へと戻った彼はどんな変化を見せるのか楽しみでした。まず、大きな画面に挑戦してもらおうという話になりました。ベニヤ板を横91cmx縦56cmに切りました。彼は車椅子を利用しているため、テーブルで手を伸ばして描ける限界がこれくらいかなというのがありました。いつものように色を選び、右から描いていきました。「びゅーっ」、「びゅーっ」と大きな筆を真っ直ぐにベニヤ板に走らせて行きます。正に彼の身体がベニヤ板の上を滑っているかのようでした。縦の色の帯が段々左へ進んでいくと、身体はそのままで描こうとするので線が斜めになって行きました。私は慌てて車椅子をずらし、真っ直ぐ描けるようにしました。でも彼はお構い無しに少し斜めになった線を描き続けました。途中、「真っ直ぐ描きたいんだよね」と確認しましたが、気にせずにどんどん描いていきました。一通り左端まで描いた後また右端に戻って画面の真ん中まで来た時でした。オレンジ色の上に黄色の絵の具を重ねている時、筆が急にグニャグニャのた打ち回りました。でも色の帯からはみ出ることはありませんでした。また、色を重ねていった時にいくつもの色が混ざる様を見ながら興奮して私を見て嬉しそうにしていました。私はそれを目撃していました。
 私は一連の彼の動きを見ながら彼がどう描きたいと思って描いているのかではなく、描きながら描いていることから触発されて次の動きになっていることに気が付きました。彼の中での作品のイメージである色の帯と画面に走らせている筆の動きの身体性が彼を動かし、色と色が混ざり合う様を見ながら視覚が覚醒していく。正に彼が絵の中に居るようでした。私も彼の動きに集中している内に興奮して真剣になっている自分が居ました。私は彼の目になり、身体になったかの様でした。