長谷川等伯展を見て。ー芸術の社会性についてー


 

 私は現代アートというジャンルで作品を作っている。現代アートとは西洋の美術史の中から出て来た美術の形式である。その美術形式を明治時代以降の近代化(西洋化)された教育及び文化の中で考えている。しかし、美術と言うものは、観念で制作するものではなく、“風土”の中で培われるものである。先日、早稲田にある永青文庫長谷川等伯展を見に行ったのは、そうした非西洋文化としての水墨画を“風土”として検証する意味合いがあった。商山四皓図などの襖絵が、本来の畳の高さではなく、見上げる位置に飾ってあったのは少し残念ではあったが。
 私は先ず、長谷川等伯の運筆の確かさに驚いた。もちろん直しの効かない水墨画の技法からの印象もあるが、一つ一つの筆が置かれた墨色の確かさと、筆触が表わす表現の正確さに非常な実在感があった。何がこのリアリティを支えているのか注視してみた。すると、松の木の葉と幹の質の違い、岩の質など様々な違いが表現されていてそれが一つの世界を作っている。また、人が馬に乗っている姿から重みを感じ、松の幹から重みを感じるのである。全てのものが重みを持って存在している。しかし、西洋的なパースペクティブ(所謂線遠近法)の視点で描かれていないため、絵を描く人あるいは絵を見る人の視点を感じにくい。そうしたパースペクティブで描かれていないからと言って芸術性とは全く関係は無い。さらに見ていくと、松の木が植わっている地面や馬が歩いている地面、また描かれた要素を繋ぐ何も描かれていない空間、また空を想像させる高い位置にある空間。それらは唐紙の地の色で表現されている。良く日本の美術に余白を大切にする文化があると言われる。気を付けなければならないのは、その余白が何を示すのかである。余白という存在が最初からこの世にあるわけではなく、何かを示唆する暗喩であるのだ。私は余白(何も描かれていない唐紙の白い所)をジッと見た。先ず奥に行くイリュージョン(想像上の空間)ではない。かと言って襖の表面の唐紙の物質感が見えているかと思えばそうではない。その両方だという気がした。この感覚は長谷川等伯独特のものである。私は、この長谷川等伯の襖絵を畳に座って眺めていると、絵の世界と現実の世界が混ざるような想像をした。
 また、こういった西洋と東洋という単純な比較はともすると本質を外れた議論になる危険性を持っている。しかし敢えて言えば、長谷川等伯の筆の跡から見えたものは「手に頭脳」が付いているような感覚を憶えるのだ。これを比較論的に言うと、例えばゴッホピカソセザンヌも“頭脳を通した眼差し”が絵筆に伝わり、筆触化しているように思う。しかし、長谷川等伯などの水墨画は、手と筆で直接絵を表わしている。これは端的に言えば、書の文化ということになるが、先述した“風土”の問題というのは、身体を通じたドメスティックな事柄なので単純化して書くことは出来ない。出来ないが、絵の表面(支持体という)を境にした“文化の物語”は共同体として共有しているものがある。
 以前、オーストラリアの画家でエミリー・ウングワレーというアボリジニの人の展覧会を見に行ったことがある。大きな画面の作品は戸外で口にタバコをくわえながら、地面にキャンバスを置いて描かれていたものだ。アボリジニの“夢”の文化を継承したダイナミックな作品だった。その作品を見た後で偶然違う場所でアボリジニの他の画家の作品を見る機会があった。そこではアボリジニの人達が元来、木の皮などに上述した“夢”の文化を描いている写真展示があった。またそのアボリジニの文化は現在では西洋から輸入された制度であるキャンバスに描かれていて、実作品が展示してあった。とても違和感のある作品だった。私はここで、本来は木の皮(自然なもの)にアボリジニの“夢”の物語が描かれ、霊性が宿っていたのだが、西洋から入って来たキャンバスという制度の影響を受けてその霊性が失われてしまったのではないかと考えた。
 ここでもう一度、長谷川等伯の余白について考えられるだろうか。一つ考えられるのは、襖絵や屏風絵の美術形式が日本の“風土”の何を表わしているのかを考えることによって等伯の感覚に近づけるのではないかということがある。住まいというのは、土着的なものである。どう住んでいるのかということだ。襖絵や、屏風絵など元々は家具であるものに装飾を施したもので、間仕切りや風除けである。床の間に飾られる掛け軸は少し違い、もともと鑑賞することが目的の装飾品だ。何も無い場所を仕切ることによって成立していく建築空間。その仕切る動作が長谷川等伯の手から筆に伝わり、あるものは松の幹になり、あるものは岩になっていく。その何も描かれていない唐紙を墨色が仕切っていくことで、世界そのものが重みを持って実在し始めるのだ。
 今回の展示にはないが、長谷川等伯の作品に「山水図襖絵」というのがある。高台寺というお寺の住職が留守の内に、桐の文様の入った、襖絵には向かない唐紙に強引に桐文様を牡丹雪に見立てて冬の山水図を描いたという逸話がある。私はこの作品が後の長谷川等伯を作ったような気がした。それは、襖や屏風という現実空間に存在する家具に絵を描くことで、何も描かれていない余白に現実と虚構を行き来する構造を発見したのではないだろうか。ここで私は、“風土”や“余白”というものをことさらに強調したいわけではない。最終的には長谷川等伯の個人の感覚が芸術を作り出している。しかし、作品というものは当時の狩野派との差別化をどう長谷川等伯が図っていったかという社会的現実や、クライアントとしてのお寺などに対するアプローチは“文化の物語”を意識して作られたものでなければ成立しない。そこをこそ今回の展覧会を通じて私が検証したかったことなのかもしれない。