メスキータ展を見に行った。

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 東京ステーションギャラリーへメスキータ展を見に行って来た。白黒の版画のコントラストが特徴的だ。会場は人物の版画から始まっていた。見てすぐに思ったことは、一般的なコントラストではないこと。では何か?というところからメスキータの世界へと誘われていった。先ず思ったのは、女性を描く場合、裸体や女性を理想としてイメージしているなと感じた。次に黒く描かれている背景の机などが私の視線とぶつかった。これはメスキータの自意識だろう。そして最後に不思議に感じたのは、白黒を細かく表現して灰色を感じる部分があったことだった。理想と自分、そして何か。また何かという疑問が私を更なる好奇心へと駆り立てた。

 普通コントラストと言う表現方法は何かを際立たせるために使う。光と影のように。その差、または違いを見せる。しかしメスキータの版画は白と黒がバラバラに見る人に迫ってくる。文章を書きながら改めて図版で確認したが、圧倒的に黒い部分が私の意識に重なってくる。敢えて言えばメスキータの内面世界を表わしているのかもしれない。それをとても直接的にベタッとした黒で表現しているのだ。とすると、白や灰色は何だろうとなってくる。私は会場を進むうちに、うつむく女性というタイトルの作品を見つけた。なるほどこれが灰色かなと思った。メスキータ自身も白と黒と灰色の意味付けはそこまではっきりしていなかっただろう。その後も理想と自意識あるは自身の現実感などを描いていく。私はメスキータを通じてこの、白と黒と灰色という三色から何かを読み取ろうとするメスキータ自身に驚いた。人物画に関しては宗教的な感覚があった。途中動物のイラストの版画もあったが、コントラストは弱められてメスキータで言う灰色を強調したのかもしれない。我々も灰色という色に対して曖昧や、何か中間的なものを表現するときに使う。しかしメスキータのようにずっと幾何学のように構造的に現実や社会を表わす手段として灰色を感じ続けた人もいないだろう。

 またファンタジーと題された会場ではメスキータの世の中の人々への感じ方が理解出来たようで面白かった。視線が上向いた人々や、お互い会話をしているのに全然別の方へ向いた視線。社会的にはイラストや版画は流通し易く芸術というよりデザインとして消費されやすい。しかしメスキータはデザイン的な仕事を一方でしながら、自身の内面と向き合い芸術としての意識は常にあったように思われた。

 時代背景としてロシアアバンギャルドがある。あるいは構成主義。芸術、デザイン、建築、工芸が一体となり社会を表現していこう芸術運動。メスキータもその時代の空気を吸っている。比べて我々の現在は理想を持ちにくい時代である。しかし社会はあり続け、人々は生き続ける。とこう言いながらまだメスキータの白と黒と灰色の関係をしばらく考えてみたいなと思った。