勝又豊子展<封印された皮膚>

 久しぶりに書きたくなったので、書く。今日、横浜の石川町へ勝又豊子展<封印された皮膚>を見に行った。以前から拝見していたのだが、中々作品に入り込めずにいた。今日は入り口が微かに見えたように思えた。彼女は身体をモチーフに作品を作り続けている。身体の中でも皮膚が主要なモチーフである。以前から彼女の作品の周りをぐるぐる回りながら、判然としない気持ちを抱えていた。それはインスタレーションを志向しながら、フェティッシュに物質に迫る感覚が、見るものに相反した気持ちを催させていたのである。言い換えれば空間的なのか物質的なのか戸惑ってしまっていたのだ。
 しかし今日線として繋がり始めたのは勝又の作品が、彼女自身と世界との関係ではないかと気付いたからだ。それには展覧会のタイトルにあるように「皮膚」の存在がある。
 私が勝又の作品に近づけるきっかけになったのは、身体のクローズアップされた写真(皺が強調されて皮膚を感じる)が牢屋のような鉄格子のフレームに収まっている壁掛けの作品だった。私は鉄格子の中の写真を見ようとするが、鉄格子に阻まれて見えない。しかし中に写っているのが皮膚の写真だと分かると感覚をそこへ向けた。皮膚とは私達の身体の外側にある物質でありながら、自己の身体を自己の身体として感じる表面でもある。
 その内と外の感覚は鉄格子でも繰り返されている。牢屋の鉄格子は中に居る人と外の世界を隔てている。その皮膚のメタファーと鉄格子のメタファーが重なって、勝又の身体と世界の関係を暗示するのである。そしてそれは勝又の身体を抜け出て我々も共有出来る感覚になっていく。
 私は勝又の、身体と世界の関係を表出する感覚に驚いた。