ミヒャエル・ボレマンス展

 雨と風の中ミヒャエル・ボレマンス展に行ってきた。久しぶりの原美術館だった。前もって画像で作品を確認していた時、作品が小さいことに気付いた。私も作品の大きさについて考えていることがあったのでとても興味を惹かれた。お面を付けている人、うつむいている人、後ろを向いている人など鑑賞者とは視線を合わせない。それは物思いに耽っているようであり、何かの行為の最中のようでもある。描かれている人物は居合わせている空間は意識せず自分の意識の中に沈殿しているかのようである。それは特定の誰かを指してはおらず、人間一般を表現している。人間は社会と接し様々な人間関係の中で自分を演じている。ある種他者性の中で暮らしている。その他者性の中で暮らしている我々の内面を彼は映し出しているのではないだろうか。ボレマンスの描く人物はたいてい一人だが、孤独に過ごしているようには見えず、周囲を感じさせる。
 作品を見ている人は作品が広い空間にぽつんと飾られているため、鑑賞している自分を意識してしまう。見ている人は鑑賞者という中性的な存在から引きずりおろされる。しかしその静かな内面を湛えた作品は落ち着いた色彩によって最初の不安から徐々に安堵に変わる。しかし安堵したかに思えるが、誰でもない誰かであることには間違いなくそれが新たな不安を呼び起こす。
 ボレマンスの作品にはそういった安堵と不安が作品の構造としてあるのだろう。また作品の小ささは一方でエンターテイメントとしての巨大化した現代美術へのアンチテーゼのようにも見えた。