自由とは何か

 また職場の知的障害者施設で考えさせられることがあった。現在利用者の日中活動として表現活動というものを行っている。彼らに好きなことを仕事にしてもらうというコンセプトで、絵画、粘土、木工、詩など何をしても良いことになっている。楽しむ中で彼らの発達を保障していこうというものだ。しかし中にはこの「楽しむ」というのが難しい人がいる。私はそれに気付くのに6年掛かった。特に表現というものをどの角度で捉えるのかが問題になってくる。知的障害者の中には自分一人で楽しむことは難しいが、二人や、みんなで何かやることで楽しめる人がいる。
 しかし、社会的には表現というものは自ら生み出すものであり、基本的に能動的なものだと考えられている。しかし彼らの中には自我が弱く、楽しんでいる空気がないと楽しむことが難しい人がいる。
 私は働き始めた頃、表現することで自我が育っていくものだと思い込んでいた。それ自体は間違っていない。しかし利用者と向き合っている内に、一人で自由に表現することの難しさを痛感した。自由とは分かりにくいものなのである。「楽しむ」というのはその自由という感覚とあるところで繋がっている。発達段階的にも受動的に楽しむところから能動的に楽しむところへ向かっていく。この「楽しむ」「表現」「自由」が三つ巴になって我々の生を支えている。
 表現という言葉をもっと豊かな世界へと開いていかなければならない。私が書けるのは今ここまでである。