絵と絵画の違い

 昨日FBで投稿した、職場である知的障害者施設で実習している高校生の話から。
 今日で二日目の体験実習なのだが、描いてもらった作品がなかなか良い。端的に言えば「絵画している」のだ。何故特に美術の教育を受けていない彼女が、モダニズムが獲得した絵画の平面性を保持しているのか。その何故にはまだ答えられそうにもないが、私が彼女の傍で制作している姿を記述することは出来そうである。まず彼女は「絵が描きたい」と言っていたこと。その絵とは何か興味がある。彼女は描く時、何かを描くというでもなく画面の端からスーッと描き始める。最初から絵画の平面性を知っているかのように。彼女が選んだアクリル絵の具に適度に水を混ぜ、画面に沿うように筆を走らせていく。次々に選んだ色を並べるように描いていく。隣り合う色はぶつからずに響き合いながら息づいていく。不思議なのは最後の一枚になったピンク一色の絵でさえ息づいているのである。その絵は一筆書きのように始まりから終わりまでの彼女の動きが刻印されている。平面性と息づく感覚。
 頭にある画像としてのイメージを定着させるのではなく、絵を描くことそのものを描いていくこと。そこに単なるイラストとしての絵と絵画の違いがある。ここまで書いて来て、彼女以外にも知的障害を持った美術教育を受けていない人で同じように「絵画している」人の作品をいくつも見ている。技法はそれぞれ違うが、画面の息づく感じと平面性が共通している。そのことに何か共通したものは見出せないだろうか。
 こうした美術教育を受けていない人たちの中に美術史的な概念を持ち込むことに違和感を持つ人もいるだろう。しかしそこに普遍性を感じ取っていくことが、概念化された美術の本質を見極める上でとても必要なことだと思われる。もっと思考を開いていかなければいけない。