芸術と自由 -芸術の社会性について-

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 「芸術と自由」と書くと何か一昔前の言葉のように感じるが、先日職場の施設で自由について実感したので少し考えてみたい。その日は創作活動という枠で、絵を描いたり織りを織ったりする時間であった。職場は所謂「重心」と呼ばれる重度心身障害者の通所施設である。私はそこで美術経験者として彼らとワークショップを行った。知的にも身体的にも障害が重い彼らとアートのワークショップを行うことは彼らの主体性を促していく活動として重要だと私は考えていた。一緒に働く職員と共に、意思決定支援(周りの支援者が勝手に決めずに当事者の意思を尊重する支援方法)として芸術を取り入れていくことが方針として決まっていた。しかし今まで十分に意思決定支援がなされて来たとは言えなかった現場で、その十分にして来なかった部分を自ら省みることは容易なことではなかった。

 発語が乏しく、身体的にも行動に制限がある彼らは一般的には意思疎通が難しいと言われている。その彼らに芸術?創作?という雰囲気がワークショップの現場に溢れていた。今までは、支援者が彼らの願いを代弁して、彼らの代わりに願いを叶えるという「代替」という支援方法が一般的であった。活動で生産物があった場合、支援者が代わりに作っていた。私は何年か彼らと関わる間に、身体の多くの部分が動くことを知っていたし、彼らの感情表出が豊かであることも知っていた。それだけで十分芸術が成り立つと感じていた。しかし、従来の支援者が代替して利用者の主体性を守るという方法では芸術は成り立たない。何故か。それは単に当事者である本人が制作を行っていないからである。しかしこの単純な事実は、人間本来の自由ととても深く関係していることを示している。重度の障害のある方々を守ろうとするあまり、自由を奪ってしまっているのである。

 話を近現代の芸術の歴史に移すと、芸術家は人間本来の自由のために制作を続けてきたと言っても良い。障害があっても無くても自由とは難しいものであるし、また自由を希求することで人類は前に進んで来たと言える。例えば、絵画の画材として開発された油絵具も時代の中では批判されて来た。DADAという反芸術運動では、廃材で絵画作品を制作したクルト・シュビッターズがいる。廃材を画材とすることで現実と芸術の接点が生まれて、我々の価値観が揺さぶられるのである。価値観が揺さぶられるということは生きていく出発点でもある。またエドワード・マネは裸婦像などに見られる男性中心の価値観に疑問を抱き、ありのままの裸婦を描いた。アンディ・ウォーホルは、商業世界に覆われている我々をポスターのように描くことで偽善の美しさの中に生きる人間を暴露した。これらの芸術は既存のマジョリティーの価値観を揺さぶり、人に生きる力を与えて来た。

 ここで福祉と芸術が突然繋がってしまうことに気付いたであろうか。既存の価値観や、他者の価値観が押し付けられることで人間本来の自由が損なわれてしまっていることを。先日職場の施設で、自由に制作している利用者に支援者が誘発されて、何をしてもいいという雰囲気がワークショップの現場で出来上がった。その自由な雰囲気が他の利用者の自由な制作の支援に繋がった。自由とは誰かのものでは無く、その人にとっての自由なのである。