私たちの傍にあるもの -芸術の社会性について-



   築67年の木造アパートを使ったギャラリーカフェHAGISOで「私たちの傍にあるもの」という個展を2022年8月17日から9月11日まで谷中で行った。展示の内容はHAGISOの営業の中で出てきた段ボールをもとに絵画作品を作り、ふらっとカフェに入って来たお客さんの目に留まるというもの。私はすでにここでの展示は3回行っている。いずれも作品を介した「場」の生成を目指した。複数の作家と打ち合わせを重ねて、展示の概要だけでなくそこで交わされる言葉も大切にしてきた。

 展覧会開催中、作品鑑賞目的ではないカフェのお客が偶然目にした作品に目をやる。その不意の視線が興味深かった。何かを見ているのだが、期待をしているわけではないので通り過ぎるような体の動きをする。また期待しているアートファンの方は?が頭に浮かんでいる。またカフェのお客で展示を見た人の中には、段ボールに書いてある様々な情報に普段気に留めてないものを見られたと感想を言ってくれた。「フレッシュミート」「北島商店」「生姜」「鯖」「千葉」他にも様々な運送に因んだ管理番号が並ぶ。また大川祐の個展だが、私の名前ではない名前を見つけて「お知り合いの方ですか」と段ボールの荷受け主に気づく観客もいた。

 

 こうした様々な視点は作家の世界に分け入るわけではなく、本人の視点であることが重要である。ある絵画作品を見て作家の世界に浸ることが従来の見方であるならば、私の作品は観客の視点を作品を通じて観客自らを発見することなのである。私はここに、芸術の社会性の芽を作っていきたい。人々の多様性が重視される現在、「あなた」という「個」を見出すには「あなた」という視点を見つけることである。また今回私大川祐も、他者(私が選んだものではない段ボール)を通じて制作したことで、自分中心の視点と他者の視点が入り混じることで制作を客観視出来た。

 展覧会会期は1か月あったが、その終盤にトークイベント「アートと社会の接点をみんなで囲む」を行った。私とアーティスト松下誠子とHAGISOスタッフが中心となり、その場に居合わせたお客に自由に話してもらった。時にアートの話になり、時に社会の話になった。HAGISOスタッフと事前の打ち合わせは行っていたが、どこかへ導くような話し方ではなく自然発生的な「場」を目指したいと主旨を確認した。そこで感じたこととして、ある目的を持った言葉は、分かりやすいが「重み」が無いということ。「重み」とは本人の心を表しているかどうかではないのだろうか。私はこれまでも度あるごとにトークイベントを展覧会期中に行ってきた。そこで大切にしてきたことは、登壇者と観客が切り離されているのではなく、相互方向的な場を参加者全員で作るということ。

 話されたことは、内容もさることながら話者本人からでないと出てこないトーンと話題が印象的だった。ある人は両親が魚屋であったから欧米由来の段ボールは自分たちが侵されるのではないかという恐怖を子供当時感じたという。ある人は大学紛争の話から解放区の話になり、現在のジェンダーの話となった。またある人は作品とはふふふと笑うのが良いんだと。ワハハではなくてね、と私の制作行為になぞらえていた。HAGISOスタッフからは、今年営業10周年にあたり振り返る中で様々に会社が展開してきたが忘れてはいけない原点を私と打ち合わせをする中で気づいたと言っていた。これからも芸術の社会性について引き続き考えていきたい。

観客の問題 ―芸術の社会性についてー

非常に難しい問題でもあるけれどシンプルな問題でもある観客の問題。一般的には芸術家は自身の衝動に駆られて描きたいものを描く、作りたいものを作ると考えられている。観客は安全な場所から芸術家の世界を眺めるという関係。しかし長い美術史の中では、作品を眺めること自体を作品として制作(提示)してきた歴史がある。これを観客の問題として考えてみたいと思う。

思いつくままに作家を列挙しながら考えていきたい。先ずはアメリカの作家カールアンドレ。彼の作品は、何かが作られる前の材料である工業製品や、角材が整然と並べられたり、積み上げられたりする作品。それを彫刻と定義している。作品のアイデアはその制作方法である。制作は必ずしも作家自身が行う必要は無い。各パーツとも言える材料を、実は一つ一つ違う向きや形を吟味しながらきちっと並ぶよう組み替えていく。そこには材料を様々な角度から見たり、感じたりしながら人々が自らの身体を通して作品制作に関わっていく。こうした協同作業は制作した人それぞれに響くことだろう。共通した理解は最初から無い。144Magunesium Squareという作品では実際にアートに興味のある人々に材料である鉛のタイルを並べてもらいそれぞれに感想を言ってもらう展示をイギリスのテートモダンギャラリーが行った。

続いてドイツの作家ヨゼフ・ボイス。彼は自身が乗っていた戦闘機が墜落した際助けてもらった体験(と言われている)をもとに生命と芸術をテーマに様々な人や社会に生きること自体を問いかける作品を残した。そこにはパフォーマンスを含んだ作品、大きな黒板を使った民主主義を問いかけるドローイング作品や、アメリカ大陸の霊獣であるコヨーテと3日間アメリカのギャラリーで過ごしながら資本主義を批判する作品などがある。いずれも私はこう思うけど君はどう考える?というある種の突き放した感覚がある。そこには答えとしての作品があるわけではなく、見る人のアイデンティティを引き出す狙いがある。

他にも以前紹介したオノ・ヨーコの真っ白いチェスゲームがある。観客が通常は白と黒で戦うチェスをお互いが白い駒を使ってゲームをするとどうなるのかという平和をテーマとした作品はユーモアがあふれている。この、観客を前提とした作品とはいったいどういうことなのか。それ以外の作品とどう違うのだろう。では観客を前提としない作品は成立するだろうか。一人で、発表する機会を考えていない作品制作がそれに当たるのだろうか。そうではなくて、作品の制作に観客が関わっていくということが一番重要なことなのだろう。では何故作品制作に観客が関わる必要があるのか。

そこには“社会”という概念が組み込まれているのではないだろうか。“社会”という概念は作品を制作する以前からこの世界に存在している。言わば、社会というキャンバスに対して如何なる絵を描くかということである。その絵の構成要素として様々な人々の解釈や意見が必要になってくるのである。言わば民主主義の根幹とも言える。この“社会”という漠然とした空間を満たしていくのは一人一人の観客なのだろう。現代の美術は観客を必要としているのである。こうした美術の傾向は、昨今の国際美術ビエンナーレなどに引き継がれて社会問題など個人で解決できない問題を問う機会として、受け継がれている。

ドクメンタ15とタリン・パデイの活動

 

ドクメンタという芸術祭がドイツのカッセルで5年ごとに行われている。今年は15回目で、元々ナチス政権下、退廃芸術とされた作品を再展示することから始まった。近年、脱西欧中心主義を掲げ、積極的に非西欧国の作家を招いて独自の価値観を形成している。その中で今回インドネシアのアートコレクティブである、タリン・パディ(1998~)が展示作品による反ユダヤ主義問題で作品を撤去することとなった。私はこの問題に興味を持ち、調べてみた。

インドネシアスハルト政権が独裁体制を批判されて1998年に退任することと同時に生まれたのがアーティスト集団タリン・パディである。少ない資料を見ながら、木版画や広告バナーや段ボールのプラカードを表現手段としたり、パンクバンドを通じて音楽で独裁政治を批判するなどの活動を展開してきた。本人たちも自らの政治的な表現を公表している。彼らは従来のアーティストのように作品を制作しない。彼らにとって作品を作ることは社会を変えていくことのように思われる。制作というより、活動といった印象。

 

そうした中、ドクメンタ15において問題の作品「人民の正義」がドイツのカッセルで展示され、撤去された。一部始終を紹介した動画があったので見てみた。巨大なバナー作品(大きな広告やポスターのようなもの)は3部構成になっており、左側には戦闘服姿の世界各地の諜報部員などが描かれる。また真ん中には、牢屋に入る腐敗した政治家や資本家などが描かれ、右には体制に反対し戦う農民たちが描かれている。ここで問題になったのは、画面左側の人物の描かれ方である。イスラエル諜報機関であるモサドの文字が頭に描かれた人物とそのすぐ隣にはSSの文字が入ったナチスの親衛隊をイメージした人物が並んで描かれている。この表現に反ユダヤ主義団体から抗議があり、ドクメンタ側が謝罪、タリン・パディも謝罪した。ここから論争が始まり、ドイツの政治家がドクメンタに対し批判的な声明を出し、事態は大きくなっていった。

これは、数年前行われた愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」の件に構造的に似ているかもしれない。国際展という開かれた場でありながら、開催地の独自性が出せず、中央の思惑に翻弄されてしまう。反ユダヤ主義とはユダヤ人およびユダヤ教に対する敵意や憎悪がある事柄を指す。しかしまた、今回のドクメンタの作家にイスラエルの作家がいないのは何故かという批判も同時に招いた。この複雑な事態を招いた要因の一つにタリン・パディの表現にドメスティックな部分があったことはあるだろう。彼らから見える世界としては、独裁体制を批判するのが目的であるため、ナチスモサドが同じ分類に分けられてインドネシアの農民と対置されてしまう。ドイツ側からすれば、政治的に複雑な立場であるのにインドネシアというローカルからすると同じように見えてしまう。非常に印象的に国際展のあり方を問う形に逆説的になったといえるだろう。ドクメンタの主催意図はこうした脱西欧主義にあるために、政治的であり、社会的な表現を取ればおのずとメジャーとマイナー、グローバルとローカルな立ち位置が露呈されてしまう。それこそがドクメンタ側の本質的な意図であるだろうが事はそんなに単純ではないだろう。

しかし国際的な場でコミュニケーションの可能性を探る良い例となったといえるだろう。日本でも芸術の国際展は開かれているが、先述した愛知トリエンナーレの件を含めて開かれた場を期待したい。

 

 

ガエターノ・ペッシェ -芸術の社会性について-

              

 

ガエターノ・ペッシェ(以下ガエターノ)という人がいる。イタリア人建築家であり、デザイナーである。それとも彼は芸術家だと紹介した方が良いのであろうか。私がデザインを学んでいたころ彼の名前を知った。芸術的な家具に憧れていた私にはスター的存在であった。樹脂を使い、フェルトや、溶けたガラスなど流動的であり有機的なデザインの家具やプロダクトを次々に発表していた。私が学生であった80年代から90年代当時の家具デザインや建築はポストモダンのデザインが流行していて、機能性よりもイメージが形を左右していた。その中にあって、1969年に発表していたガエターノデザインの「Up Sofa」はポストモダンを先取りするデザインだった。B&B Italiaから発売された圧縮発泡ウレタンで出来た有機的なフォルムのソファは、家族や社会の囚われの身である女性をイメージしたデザインで、足を乗っけるオットマンが囚人の鉄球を表している。後にマンハッタンの街をイメージした「Sunset In New York Sofa」というソファを1984年に発表。かつての元気のあったニューヨークをイメージして太陽がビルディングから顔を覗かせるというもの。これらガエターノのデザインに共通しているのは実用性よりはメッセージ性が強いということである。

 

私がこの原稿のための資料を調べているうちに1984年に制作した樹脂製の椅子の話をガエターノがしていたのを見つけた。彼は同じ型で9つの椅子(後のPratt Chair)を作ろうとしていた。しかし、樹脂の配合の違いで1個目は固まらずに骨のない人間の身体のようにぐにゃっとした形になってしまった。それは彫刻のようでもあった。2個目はゼリー状の形になり、子供が座れそうだったが、座ると壊れそうだった。3個目は子供は座れそうだったが、大人が座ると壊れそうだった。4個目5個目と作るうちに、あるものは芸術に、あるものはデザインになることに気づいていく。その瞬間瞬間、物は変わっていき誰にもそれが芸術かデザインか分からない。ということを語っていた。また彼の工房を訪ねた動画を見た。綺麗なデザイン事務所という感じではなく、様々な樹脂や、発泡ウレタンを使った家具などの模型が並んでいた。一つ一つのオブジェが詩のようであり、切ると血が出るような情熱に溢れたものばかりであった。ガエターノは、「建築」とは建物では無いと言っている。「建築」とは驚きであると。何か新しい言語を発見したりすることだと。以前私が取り上げた建築家にジョン・ヘイダックというアメリカ人がいたが、彼もアンビルトの建築家と呼ばれて建築を哲学していくことに生涯を掛けた「建てない建築家」であった。

ここまで書いてきて、芸術の社会性という私のテーマからガエターノの仕事を見た時、正にガエターノの仕事は芸術の社会性を表していると感じた。社会性とは、ある種の生産性「建物を建てること」では無い。むしろその逆である。ガエターノは、すべては動きの中にあるとも言っている。静的であることは最悪であると語っている。あるものが繰り返されることは、退屈である。人生の喜びや希望をどこに見つけていくのか。彼のデザインした時計に80年の時を刻む時計があるそうだ。あまり売れなかったと言っているが。今日と明日は同じではない、時間を浪費しないことだと。お金ではないのだと。自分を表現することなのだと。自分を表現するには「やってみる」しかないのだろう、とガエターノに言われている気がする。

現在のウクライナ絵画 -芸術の社会性について-

 

毎日届くウクライナ侵攻のニュース。報道を見ながら、モヤモヤした思いをする。この戦争ほどメディアの存在を感じる戦争はない。いつの時代も戦争とメディアは互いを必要とするし、自分の意識のせいでもあるとは思うが、変な距離の近さを感じてしまう。それは演出された近さがある。演出された情報。そこをかき分けながら、真実を知ろうとする。

ウクライナの侵攻が始まったのが、2022年2月24日とネット上にある。私がSNSを通じて知ったGRAND ARTISTというコミュニティが紹介するウクライナの芸術を見ながら思ったことを書こうと思う。5枚の絵画をピックアップした。いずれも制作年が2022年とある。ここ最近描いたものだとして、画題がいずれもウクライナの侵攻と無関係ではないと画像を見た私は感じた。というか感じざるを得ないし、報道から見えて来る演出ではない生の声を芸術から感じてみたい気持ちがあった。

1枚目の「避難」とあるユーリー・デニセンコフの絵画。避難するバスが幾重にも重なっている。幽霊のように見える移動手段は、普段我々が使うあのバスではない。薄く塗られた絵の具がその頼りなさを表現している。絵画の持つメッセージ性を強く感じる1枚である。こうした絵画を見る感覚は普段のニュースからは感じられない直接的なものだ。絵画がなんであるかより、心の手紙として見る者に届く。現在起こっている戦争が芸術として同時に配信される時代。

 

 

2枚目はイゴール・ソロドブニコフの「76日目。私の牛」という絵画。野獣派のような色彩と牧歌的な風景にただならぬものを感じる。そこにはモダニズム的な技法よりもメッセージとしての手段を感じる。2022年という時代がそうさせるのか、技法を超えた切実さを画面から感じる。牛を抱く女性。地球を模した大地にカラフルな樹木。樹木はゴッホを感じさせる。せり上がる大地はキュビズムのテーブルのよう。それに比して真ん中の女性と牛は身を寄せ合って縮こまっている。

 

 


3枚目はウラディスラフ・シェレシェフスキーの「水上で煙」という絵画。一見してリヒターの影響を受けて、作品を見る者に客観的に見るよう要求する作品。画面に映るリラックスして座る男性は片手に飲み物を持って戦艦を傍観している。傍観しているのはメディアのこちら側にいる我々なのか。モダニズム絵画がジャーナリスティックに皮肉られている感じがして興味深い。我々見る側の素朴さを告発しているようにも見える。

 

 

 

4枚目は、カテリーナ・コシアネンコによる「静けさ」という絵画。詩情を感じる画風は、夜空だけが青々と輝きそこに佇む人たちを照らしている。夜空の荘厳さと比較した人間の小ささが印象深い。その対比を繋ぐかのような破壊されたアパートメント。アパートメントは夜空を吸って青みがかり、段々灰味を帯びていく。公園に佇む犬や猫は逃げられるのだろうか。横にある車が問いかける。

 

 

 

5枚目は、ヴラド・クリショフスキーの「脱出」という絵画。アウトサイダーアートのような雰囲気の画面に「things that after」と書いてある。「起こった後の何か」とも訳せるが、逃げ惑う幼子と母親が不条理な今をどこに向かえば良いのか思いあぐねているようだ。背後に描かれている赤い風船と糸のようなものはバンスキーの作品を思わせる。

いずれの作品もプロパガンダ戦争画ではなく、市民としての戦争画、また反戦ではなく只中にいる人の叫びが感じられる。そこにはイデオロギー以後の、切なる人の姿が描かれているのではないだろうか。ウクライナは西ヨーロッパと東ヨーロッパのそれぞれの文化を背負いながら我々に何を伝えようとしているのだろうか。

ジェフ・クーンズの芸術らしさ -芸術の社会性について-

 

 

   

ジェフ・クーンズ作品             オクサナ・ジュニクルプ作品

今回、ウクライナの芸術について触れた文章を書こうとしていた。その内にある作家に辿りついた。それはアメリカの美術家ジェフ・クーンズ(以下クーンズ)である。何故辿り着いたかと言えば、ウクライナ人磁器作家であるオクサナ・ジュニクルプ(1931-1993)の制作した磁器人形を模したクーンズの巨大なバルーンアート著作権侵害だとウクライナ人側が抗議をしているからだ。クーンズはこれまでも著作権侵害で何度か訴えられている。著作権侵害で訴えられたもう一人のアメリカ人美術家と言えば、アンディ・ウォホールである。様々な有名人の画像を作品に用いて、コマーシャリズムの世界に生きる我々を暴いた。有名であるという概念を芸術として再制作することで価値がずれて新しい価値が生まれる。有名な作品にキャンベルスープの版画があるが、本物ではない有名品の“イメージ”が製品のように生産されることで逆説的に「本物とは何か」と作品を見る人に問いかける。

今回取り上げるクーンズも偽物(あからさまな)であることこそ意味があるということではないだろうか。訴えられることで逆に作品の宣伝になってしまう訳である。大量の工業的製品とコマーシャルで溢れかえる現代社会。どこにオリジナルがあるのかという問題はすでに我々が抱えている問題でもある。クーンズはインフレ-ト(空気注入)という手法で元来の大きさや質感を変えて見る人にイメージの源泉を考えさせる。作品はそれぞれクーンズらしさがあるもののそれらは一様に“らしさ”というあいまいなイメージだ。有名な作品にバルーンドッグという、誰もが見たことのある大道芸に使われるあの“風船の犬”が巨大なステンレス鏡面彫刻となって見る人を惑わす。さらにマルチプルと言われる、複数存在する芸術作品がクーンズのバルーンドッグとして販売されている。ここではオリジナルの概念は剥奪されている。オリジナルとは一つしかない概念のことである。そこに揺さぶりをかけることがクーンズの芸術なのである。

 

 

ジェフ・クーンズ、バルーンドッグ   バルーンドッグ複製作品

ここで、先に取り上げたウクライナ人作家や他のウクライナ芸術についても書いておきたい。私はSNSを通じて知りえた現代のウクライナ人の絵画作品を見てストレートな素朴さが良いなと感じた。しかし一方で作品強度としての弱さも感じた。それらはたまたまそう見えたのか、自分の思い込みのせいなのか分からない。しかし同じ東欧のルーマニアを旅した時、同じく素朴な文化を感じた。その素朴さとは何かを追いかけようと文章を書こうとして、逆に真反対のクーンズの作品と出会ってしまった。現在、インターネット社会は情報(多様なイメージ)が溢れかえって我々の生活を覆っている。その情報の海を泳ぎ切った先には何があるのだろうかと考えてしまう。我々はある決まった方向に向かっていきたい欲望がある。合っているか、間違っているか。決めたがる。私もそうである。しかし現代はそうでもないようである。それぐらい世界が繋がって来ていて、様相が複雑さを増している。そんな現代を奇妙な笑顔の印象のあるクーンズの作品は表現しているのかもしれない。

彼は言う、あなたの経験が芸術なのだと。

芸術と自由 -芸術の社会性について-

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 「芸術と自由」と書くと何か一昔前の言葉のように感じるが、先日職場の施設で自由について実感したので少し考えてみたい。その日は創作活動という枠で、絵を描いたり織りを織ったりする時間であった。職場は所謂「重心」と呼ばれる重度心身障害者の通所施設である。私はそこで美術経験者として彼らとワークショップを行った。知的にも身体的にも障害が重い彼らとアートのワークショップを行うことは彼らの主体性を促していく活動として重要だと私は考えていた。一緒に働く職員と共に、意思決定支援(周りの支援者が勝手に決めずに当事者の意思を尊重する支援方法)として芸術を取り入れていくことが方針として決まっていた。しかし今まで十分に意思決定支援がなされて来たとは言えなかった現場で、その十分にして来なかった部分を自ら省みることは容易なことではなかった。

 発語が乏しく、身体的にも行動に制限がある彼らは一般的には意思疎通が難しいと言われている。その彼らに芸術?創作?という雰囲気がワークショップの現場に溢れていた。今までは、支援者が彼らの願いを代弁して、彼らの代わりに願いを叶えるという「代替」という支援方法が一般的であった。活動で生産物があった場合、支援者が代わりに作っていた。私は何年か彼らと関わる間に、身体の多くの部分が動くことを知っていたし、彼らの感情表出が豊かであることも知っていた。それだけで十分芸術が成り立つと感じていた。しかし、従来の支援者が代替して利用者の主体性を守るという方法では芸術は成り立たない。何故か。それは単に当事者である本人が制作を行っていないからである。しかしこの単純な事実は、人間本来の自由ととても深く関係していることを示している。重度の障害のある方々を守ろうとするあまり、自由を奪ってしまっているのである。

 話を近現代の芸術の歴史に移すと、芸術家は人間本来の自由のために制作を続けてきたと言っても良い。障害があっても無くても自由とは難しいものであるし、また自由を希求することで人類は前に進んで来たと言える。例えば、絵画の画材として開発された油絵具も時代の中では批判されて来た。DADAという反芸術運動では、廃材で絵画作品を制作したクルト・シュビッターズがいる。廃材を画材とすることで現実と芸術の接点が生まれて、我々の価値観が揺さぶられるのである。価値観が揺さぶられるということは生きていく出発点でもある。またエドワード・マネは裸婦像などに見られる男性中心の価値観に疑問を抱き、ありのままの裸婦を描いた。アンディ・ウォーホルは、商業世界に覆われている我々をポスターのように描くことで偽善の美しさの中に生きる人間を暴露した。これらの芸術は既存のマジョリティーの価値観を揺さぶり、人に生きる力を与えて来た。

 ここで福祉と芸術が突然繋がってしまうことに気付いたであろうか。既存の価値観や、他者の価値観が押し付けられることで人間本来の自由が損なわれてしまっていることを。先日職場の施設で、自由に制作している利用者に支援者が誘発されて、何をしてもいいという雰囲気がワークショップの現場で出来上がった。その自由な雰囲気が他の利用者の自由な制作の支援に繋がった。自由とは誰かのものでは無く、その人にとっての自由なのである。