「何故これが芸術なのか?」-マルセル・デュシャン-

何故これが芸術なのか?という言葉を時々見かける。何故?の裏には「これが芸術である」という漠然とした了解が存在している。それは今まで見慣れて来た「何か」であり、作品を見る人を脅かさない安心がそこにあるからだろう。それは美しさであったり、狂気…

芸術と眼差しⅣ 「写真家の眼」  

誰もがスマートフォンで気軽に写真を撮れる時代。撮った写真を画像としてSNSに投稿する。そんな時代背景にありながら、では写真家の眼差しとは何なのかを考えてみる。写真家である中平拓馬、ベッヒャー夫妻、マリオ・ジャコメッリの顔を見ていくと、画家や彫…

斉藤義重とは -芸術の社会性について-

最初に斉藤義重の作品を見たのは神奈川県立近代美術館での「斉藤義重展」(1999年)であった。私は90歳を超えた作家の展覧会に度肝を抜かれた。その時強く印象に残っているのは今にも動き出しそうな黒い板状のインスタレーション作品(複合体シリーズ)で、…

芸術と眼差しⅢ 「インスタレーションについて」

私は今、インスタレーションという芸術の作品形式に言及しようとしている。何故か。それは、絵画と彫刻を伝統的に眼差して来た芸術家はインスタレーションという現代の作品形式にどのように関わっているのかという疑問が生じるからである。私も作家として、…

「芸術と福祉」 -芸術の社会性について-

先日職場の福祉施設で理学療法士とアフォーダンスの話になった。アフォーダンス(元々は生態学の用語)とは簡単に言えば、生物が環境に働きかける時に得られる意味のようなもの。福祉の現場で利用者(福祉サービス利用者のこと。以下利用者)の主体性を第一…

パブロ・ピカソとジョルジョ・ブラック -芸術の社会性について-

たまたま福祉の職場でピカソとブラックを紹介することになった。事の発端は日中の活動で行ったコラージュのことだった。美術を学ばなくてもコラージュという言葉は馴染み深いと思う。糊で貼るという意味の言葉。美術史の説明を利用者にするためにインターネ…

「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」 -芸術の社会性について-

不思議な映画だった。今思い出そうとしても上手く出来ない。ドイツのアーティストであるヨーゼフ・ボイスの伝記映画を吉祥寺で観た。ドキュメンタリー映画であり、ボイスのインタビューや、実際に残っている映像を繋ぎ合わせている。また周りにいた知人のイ…

鑑賞と身体 ー芸術の社会性についてー

正月早々川村記念美術館に行って来た。常設展であったが、一度ゆっくり見たいと思っていた。お目当てはアメリカの画家であるエルズワース・ケリーだ。しかし、他の所蔵作品も独特の空間構成の美術館なのでどんなふうに見えるのか楽しみだった。最初の部屋は…

芸術と眼差しⅡ

今回は彫刻家の眼差しと作品を比較してみます。一人目はハンス・アルプです。ダダイズムの芸術家でダダという無意味な音に表現される、芸術制度を批判する運動に参加していました。先ずは眼差しですが、検索してみると俯き加減で深く思考しているように見え…

芸術と眼差し

芸術家の眼差しを比較することで何が見えて来るのだろうか。そう自分に問い掛けて著名な芸術家の眼差しと、その眼差しで作られた作品を比べてみた。先ずは、アンディ・ウォーホル。ガラス玉のような目が印象的で、何も見ていないかのようでもある。本人の個…

「見える自然と見えない自然」 

表参道のワタリウム美術館で「ロイス・ワインバーガー 見える自然と見えない自然」展を見た。2階の会場に入るとドローイングがあり、移動式の庭が大きなキャスターの台車で作ってあった。ワインバーガーはこの自然を“移動させること”で作品を成立させるのだ…

「表現の不自由展、その後」 -芸術の社会性について-

8月の頭から色々と問題になった、あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展、その後」。脅迫による展示中止に纏わる、報道、また個人レベルでの意見、美術関係者での議論など個人的にもSNSを通じて発信してきた。率直に言って、ここまでネットの情報が作…

メスキータ展を見に行った。

東京ステーションギャラリーへメスキータ展を見に行って来た。白黒の版画のコントラストが特徴的だ。会場は人物の版画から始まっていた。見てすぐに思ったことは、一般的なコントラストではないこと。では何か?というところからメスキータの世界へと誘われ…

トム・サックス展を見た。 

初台のオペラシティでトム・サックス展を見た。ティーセレモニーと題された展覧会。アメリカに居た時、友人が日本のお茶の席をそう呼んでいた事を思い出した。身の周りにある素材を使いながらの作品は、日常の写し絵のような様相のある雰囲気を感じた。作品…

ドービニーと印象派

新宿にドービニー展を見に行った。ふと印象派と風景について考えたくなった。いつも印象派というとどこからが印象派なのか、何が印象派なのかという論議になる。それだけ長い時間掛けて画家が関ってきた画題なのであろう。そんな思いをしたためながら新宿へ…

-芸術と距離-

ジョセフ・コーネル展を川村記念美術館に見に行った。入り口でフランク・ステラの巨大彫刻に目が留まった。しかし次の瞬間、これは絵画だと気が付いた。確かに三次元の金属の塊だが、作品に平面性と正面性が見えた。私は見る距離と角度を変えながら、作品の…

ソフィ・カルの限局性激痛 -芸術の社会性についてー

原美術館へソフィ・カルの限局性激痛展を見に行った。限局性激痛とは、医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味する。私は職場が知的障害者の施設ということもあり、生きづらさや痛みや苦しみといった個人的な感情をどのように…

インポッシブル・アーキテクチャー

埼玉県立近代美術館に、インポッシブル・アーキテクチャー展を見に行って来た。インポッシブル=不可能な、という言葉に逆に建築の純粋性をどこに探せば良いのかという期待を胸に美術館に向かった。実際に建つには至らなかった様々な建築家のドローイングや…

堀内正和のユーモア −芸術の社会性について−

[ 神奈川県立近代美術館葉山館で堀内正和展を見て来た。堀内正和の彫刻は画像等で知ってはいたが、展覧会を見たことは無かった。初期の石膏による頭部などの具象彫刻は良い作品だが何となく硬い感じがした。続く部屋では彫刻が分厚くなってしまうことから開…

「アジアにめざめたら」展を見た。−芸術の社会性についてー

東京国立近代美術館で「アジアにめざめたら」展を見た。1960−1990年代にかけて行われたアジアの現代美術を振り返るという企画展。現在、西欧中心主義の美術史に対する懐疑があり様々な価値の多様化に伴い、西欧以外の文化からの社会問題への問い掛け…

快慶・定慶それぞれのリアリズム −芸術の社会性についてー

東京国立博物館に快慶・定慶のみほとけ展を見に行った。仏像彫刻にはほとんど知識が無かったが、快慶の鬼気迫る造形をこの目で見たかったのが動機だった。しかし、結果は自分の期待を大きく上回る物であった。 先ず、快慶の釈迦十大弟子の仏像があった。舎利…

縄文から古墳へ −芸術の社会性について−

東京国立博物館平成館考古展示室を訪ねた。入り口では埴輪が迎えてくれた。とても美しい像だった。一見素朴な造形であるが、その円筒型の人体は中心線が僅かにずれていて動きがあり、その動きにつられて帽子の曲線、衣服の曲線などが相互に動き出す。不思議…

ゴードン・マッタ=クラーク ー芸術の社会性についてー

ゴードン・マッタ=クラーク展に行って来た。場所は東京国立近代美術館。事前の知識として、「スプリッティング」という解体予定の住宅を電動ノコギリなどで真っ二つにスプリット(割る)する作品が有名で、70年代のニューヨークを中心に活躍した作家で34歳…

ターナーと言えば風景画である。−芸術の社会性についてー

ターナーと言えば風景画である。風景と言うのは皆で見ることが出来る客観的なものでもある。その客観的なるモノと画家はどう向き合ったのか気になった。新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館へと足を向けた。先ず会場入り口で、地誌的風景画(Topog…

ルドンと怖さ ー芸術の社会性についてー

画家のオディロン・ルドンと言えば、晩年のパステルを使った鮮やかな色彩、花や蝶のモチーフ、一つ目の巨人、目を瞑る人物画、怪しいモノクロの版画など。それらが醸し出すファンタジックな印象の奥を確かめるべく、有楽町にある三菱第一号美術館に向かった…

無名性の美 ー芸術の社会性についてー

学生の頃、駒場にある日本民藝館に行ったことがあった。初めて沖縄の紅型の染めの美しさに触れ、民芸の美しさに打たれた。今回、創設者である柳宗悦を師と仰いだ棟方志功の企画展があり、棟方志功の才能を認めた柳宗悦との関係を知りたくて訪ねた。柳宗悦は…

マイク・ケリーの作品は面白い ―芸術の社会性について―

マイク・ケリー展を青山にあるワタリウム美術館へ見に行った。マイク・ケリーは古いぬいぐるみなどを素材にした彫刻や、性や暴力などをテーマに痛烈な皮肉やユーモアを交えた映像作品で知られているアメリカのアーティストだ。先ず私を出迎えたのは、「課外…

倉重光則「Mellow Time」

先日、銀座Steps Galleryにて倉重光則「Mellow Time」展を見た。以前の作品青い発光人体EBEの次に来る作品でもある。私はギャラリーに入ると白い16個の強い光を浴びた。それらは四辺形の枠の中に円形の光源とその周りに黒い円が縁取られていた。そして反対…

熊谷守一の不思議なカタチ。−芸術の社会性について−

東京国立近代美術館へ熊谷守一展を見に行ってきた。有名な、あの赤く縁取られた輪郭線のカタチの不思議さを確かめたかった。熊谷守一は、いつからあの独特の感覚を得たのか。先ず目に入ったのは、「轢死」と題された作品。1908年(明治41年)制作。女性が自…

長谷川等伯展を見て。ー芸術の社会性についてー

私は現代アートというジャンルで作品を作っている。現代アートとは西洋の美術史の中から出て来た美術の形式である。その美術形式を明治時代以降の近代化(西洋化)された教育及び文化の中で考えている。しかし、美術と言うものは、観念で制作するものではな…